ギュスターヴ・ドレ 聖書画集より |
そこで、ヨセフは亜麻布を買い、イエスを取りおろしてその亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納めた。(マルコ15・46)
このヨセフという人についてはルカは『議員のひとりで、りっぱな、正しい人がいた。この人は、議員たちの計画や行動には同意しなかった』(23・50)と言っている。またヨハネは『イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフ』(19・38)と言っている。
『ユダヤ人を恐れ』とあるから卑怯な人だと笑ってはいけない。ペテロやヨハネと異なってエルサレムに住みかつ『議員』であったのだから、幾分世間を憚っていたのは諒とせねばなるまい。しかしイエスの死は彼及びかつて『夜イエスのところに来たニコデモ』(ヨハネ伝19・39)とを勇敢にした。
ニコデモは『没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来』(同上)てイエスの死体を包んだ。斯く死体に触れたことによって二人とも一年一度の大切な祭りである過越の食にあずかる資格をも失った。ユダヤ人としては非常な犠牲である。議員の地位も、公民の権利も捨てて顧みなかったこの二人はイエスの死によって非常に感激したのであるに相違ない。
祈祷
イエス様、ヨセフとニコデモの二人は今、天にあってかつて丁寧に葬ったおからだを見上げつつどんなに喜んでいるでしょう。彼らの富めるかつ名誉ある生涯の中で、あの一日が最も善い日であったことを喜んでいるでしょう。私どもにも同じような喜びの種を、日々の中に播くことを得させて下さい。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著357頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌 171https://www.youtube.com/watch?v=3APvI0Dwok4
1 引き続いてクレッツマンの叙述から
かくして、私たちの主の身体はヨセフの所有する、近くのきれいで新しい墓の中に安置され、復活の朝を待つことになる。少なくとも、ここまでは信仰深い女たちが立ち合って、イエスの体がどこに置かれたかを見届けた。安息日が暮れてから、愛情深い心遣いをこめて、主に十分油を注ぐためにやって来ようと思ったのである。
さしあたって、彼らはその希望をイエスとともに葬ってしまった。死んだ救い主はもはや救い主ではない。しかし、程なくして、状況は一変したのである。
祈り
おお、信仰の礎は 死して、深く葬られ、
やさしき言葉語りし唇は 今は静かに、閉じたまいぬ
生きとし生けるもの 苦き涙もて、悲しみなげかん
おお、永遠に、祝福あれ、 信仰もて、時に思い悩む者
「何故、栄光ある生命の君は 彼方に葬られしか」と問う者よ。
おお、聖なるイエスよ 救いと安きとを
今、我涙もて 汝に願わん
終わりまで、汝を愛さしめたまえ
御国にて、汝とあい見える、その日まで アーメン
2 David Smith の『The Days』から
25 イエスの埋葬
ヨセフはカルバリ山に駆け戻って来た。而して臆病の点において彼の同類たるとともにその悔恨においてもまたその同類である僚友ニコデモを伴って来た。両人はその葬儀に各々の分を尽くすのであった。彼らはともに傷おびただしき屍体を十字架よりおろして、麻の布を持ってこれを包んだ。ヨセフはこれらをことごとく用意し、また墓地をも提供した。彼は己が最後の休息所に当てんがため、近郊の園の中の巌を切って墓地を作っていた。彼はこれをイエスに献げた。ユダヤでは死体に香料を塗るの習慣があったが、その材料はニコデモが自ら用意して来た。彼は出来得る限り手厚い葬式を行わんとの忠義の精神より、自ら受け持った方面において没薬とアロエとを三十キロほどのおびただしきほど携えて来た〈1歴代誌16・14〉。
斯くして彼らは主を休息所に臥さしめた。婦人たちは立って彼らが主を臥さしめる場所を眺めつつ、この悲しい務めを一同が終わるまで佇んでいた〈マタイ27・61、マルコ15・47、ルカ23・55〜56〉。
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