ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。ですから行ってお弟子たちとペテロに、『・・・』とそう言いなさい。(マルコ16・7)
呆然として空しい墓を眺めておった女らは直ちに活動を開始すべき注意を受けた。『納められた所』を見るのはよい。けれどもそれだけではいけない。『行って』この事実を『言う』必要がある。落胆せる弟子らに、特に主を否んで後悔しているペテロに、一刻も早くこの吉報を告げねばならない。
斯く天使が女たちを急ぎ立てたのは私どもにとっても善き教訓である。過去の追憶もよい、『納められた所』を見るのもよい。けれども過去の追憶に立ち止まってはいけない。
現在の事実に活きて動かなければいけない。復活は瞑想して楽しむべき思想ではない。これに即した活動をなずべき生命である。然り復活の信仰は現在の生活にも、日々小さい復活を与える。
祈祷
よみがえりの主イエス様、私たちはこの大いなる事実を持っていることを感謝申し上げます。私たちのこの大いなる望みは日々の生活をつよめ、力づけ、若やがせ、躍動せしめ、価値あらしめることを感謝申し上げます。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著360頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。
以下、David Smithの『The Days』からの引用である。
9 十一人に顕現
この重大の日にトマスのみは居合わせなかった。かねて彼はその兄弟のもとに加わって来たが、主の現れ給うたことを彼らから伝え聞いたけれども、その性質のしからしめるところ、彼は断じてこれを退けて信じなかった。しかもなお彼らが論証して、主に見えたのみならず、主が傷所を示されたことを主張するのを聞いて、彼は『私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません』と言い放った。次の日曜日に弟子たちは同じく門を閉ざした室に集まっていた。この時にはトマスも彼らの中にいた。イエスはさらに現れ、彼らの間に立ってこれを祝された。イエスの来訪せられたのはこの懐疑家のためであって、牧羊者が一匹の迷える羊を尋ねると一般であった。『あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい』とイエスは宣うた。トマスは失望の深淵より、信仰の絶頂に一躍して『私の主。私の神。』と叫んだ。イエスは静かに答えて『あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです』と仰られた。これ一人に言われた語であるけれども実はすべての使徒を戒められたものであって、彼らはイエスが三日目に死より復活せらるべき聖書の証明も、主の繰り返しての宣言も容易に信じないほど鈍い人たちであった。しかしこれはその当時の弟子にのみ限ったことではない。『今もなお「当時我もそこにいてキリストの驚くべき行動を見たらんには!」と言うものあり。斯くの如き人は「見ずに信ずるものは幸いなり」との教えを思わざるべからず』と聖クリソストムは言っている。
10 ガリラヤ湖畔の顕現
復活の主は彼らに訣別して、天父の家庭に帰るにあたり、なお多くその使徒に教訓せねばならない事実があった。しかも敵意を挟むもの多き聖都は自らを表されるのに適した場所ではない〈マタイ26・32、マルコ14・28、マタイ28・16〉。すでに楼上の客室においてイエスはガリラヤにおいて彼らに会せられる約束を結ばれたが、彼らはその教訓のままに直ちにカペナウムの旧宅に帰った。斯くして彼らは主の顕現を待った。同時に彼らはその生計を営むべき業務に従事する必要があったので、ある日彼らの七人は、ペテロの家と思しく、一所に集まったが、常に一同の教導者で、熱情家のペテロは突然『私は漁に行く』と言った。その集まりたるものはトマス、タルマイの子ナタナエル、ヤコブとヨハネと他に二人であったが彼らも『私たちもいっしょに行きましょう』と同意した。
即刻彼らは渚に降って小舟の纜を解いた。終夜漁ったけれども少しの獲物もなかった。しかるに暁天渚に一人の人物が佇んでいるのを見た。これイエスであったけれども、彼らは認めることができなかった。彼らは陸を去るわずかに五十間ばかりの所に来たとき、イエスは彼らに商売の交渉を試みる商人の如く『子どもたちよ。食べる物がありませんね』と声を掛けられた。『はい。ありません』と彼らが答えたので、イエスはさらに『舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます』と命ぜられた。彼らはこの未知の人物は漁業に経験があるのか、あるいは魚群のいる何らかの兆候を見たものであろうと想像してその語に従った。しかるに網は曳くことができないほどに収穫があった。その命令によってヨハネの敏い心に記憶が閃いた〈ルカ5・1〜11〉彼はこの近傍において、三年以前ほとんどこれに等しい不思議の事実に接し、己はもちろん、その兄弟も、同業のペテロもアンデレもともにイエスにその運命を託したのを思い起こした。
『主です』と彼はペテロに叫んだ。心は鈍いけれども、行動には敏捷なペテロは漁業の間に邪魔なので脱いでいた衣服を着け帯を結んで、彼のイエスが波上を歩んで来られた朝のように突然小舟から湖に飛び込んで陸に泳ぎ着いた〈マタイ14・28〜31〉。他の弟子たちは魚の充満した網を曳いて小舟で渚に漕ぎ寄せたのであった。
彼らの陸に達するやすでに食事の用意が整えられていた。パンの塊や、炭火を焚いてその上に魚が焼いてあるのであった。イエスはなお現に彼らが漁った魚を持ち来れと命ぜられたので、ペテロは小舟に行って、網を渚に曳き上げた。その中に百五十三匹の魚があったのを発見した。これ異常の大漁であって、網が裂けないのが不思議であった。準備がことごとく整ったときイエスは『さあ来て、朝の食事をしなさい』と仰られた。而してイエスは彼らのよく知るもとのままの所作で、これを祝して後に食物を一同に分たれた。
11 ペテロとの問答
イエスが、おそらくことごとく使徒であったと覚しきこの七人に顕現せられたのは、この世を去られる前に彼らと会合して、彼らの職分に関して協議されるためであった。食事が終わって、イエスはその計画を遂げんとしてペテロに語を掛けられたが、甚だ残酷と見える方法を取られたのであった。イエスは深くもこの弟子が楼上の客室において主張し、その舌の根も乾かないうちアンナスの邸内で暴戻にもこれを破った『たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません』〈マタイ26・33〉との大言壮語を思い廻らされた。ペテロはその不忠を深く悔恨し、復活の日にイエスに見えるや直ちにこれを告白して赦されたに相違はない〈ルカ24・34、1コリント15・5〉。
しかるにイエスは再びこれを捕らえて、その同僚の眼前において彼の正面からこれを投げつけられた。すなわち『ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか』と問われた。『愛する』とはペテロの心に横溢する情熱を現わすものではなかった。しかし彼は謙遜に『はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです』と答えた。『わたしの小羊を飼いなさい』とイエスは命ぜられ、重ねて『ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか』と同じ問いを繰り返されたので、ペテロもその確信を披瀝して『はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです』と重ねて答えた。『わたしの羊を牧しなさい』と再び命ぜられた。
三度イエスは同じ問いを設けて『ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか』と仰せられた。イエスはペテロの改善した告白を受けておられたけれども、彼にとってこの問いは、甚だしき悔恨を催さしめた。すなわち単にペテロの尊敬の念のみならず、その愛情を疑わられるものと思われた。しかも紙背に徹するその眼光は横溢する感情を読まれるべきはずであった。『主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります』と彼は叫んだ。イエスは同じく『わたしの羊を飼いなさい』と宣うた。
12 その目的
ペテロの罪悪を殊に他人の眼前において彼の面に突きつけられるは余り無慈悲で、イエスに似つかわしからざるものではあるまいか。否、これは唯ペテロをのみ、他に勝って指摘されたものと、彼らには思われなかったことであろう。彼らはペテロに勝れるものとして免されたのであろうか。彼らは楼上の客室においてイエスとともに死なんと抗弁した。しかもゲッセマネの園においてはイエスを棄ててことごとく逃げ去った。むしろヨハネを除いたあとの者よりもペテロは勝れるものであって、直ちに勢力を鼓舞してアンナスの家までイエスを曳き行く兵卒に従って来た。故に斯く戒められたのはペテロであるけれども、皆その聖語の身に触れるを覚えた。イエスの目的は彼らの不忠実を譴責するためのみではなかった。如何にこれを訂正するべきかを教えられるものであった。
彼らにしてもしペテロと等しくイエスを愛したりとせば、イエスの答えは一様である。曰く『わたしの羊を飼いなさい。わたしの羊を顧みなさい』と。彼らが牧羊者を棄てたときも、彼らをしてイエスの羊のためにその生命を擲ち、その悔恨とその愛とをもって試験せしめよ。またその責任を忘れることなからしめよ。後にいたりて聖ペテロは言う『あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。そうすれば、大牧者が現われるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠を受けるのです。〈1ペテロ5・2〜3〉)
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