2023年1月31日火曜日

とこしえの道に導かれる主

描きたる 白玉椿 きよらかに
 先週土曜日、家内の友(私の友でもあるが・・・)が突然訪ねて来た。顔を見たいと言って。何はともあれ、上がっていただいた。手には一冊と言っていいのか、もっと適当なことばがあったはずだが、思い当たらないので、一冊とするが、ほぼ一年間の、和紙に思いつくまま描いてこられた花の絵(※)を携えてだった。

 私は手に取らせていただいて、息を呑む思いにさせられた。お茶出しに勤しむ家内をそっちのけに作品の出来栄えを褒めちぎっていた。私はふだんめったに褒めない性質(たち)なのだがこの時ばかりは別だった。私の声を聞いた家内もまた同じ感想だった。

 その時、ふっと私の中でお返しに、自らのブログ記事を進呈することを思い至った。早速、本ブログの1/4から1/28の記事をプリントアウトした。今度はその方が我がブログ記事を褒められた。「こういうものが読みたかったのだ」と。

 その前後であったであろうが、この時、もう一人近所のご婦人がいらっしゃった。こうしてそれぞれ互いに知己でありながら、コロナ禍もあり、普段遠ざかっていた四人が一堂に会した僥倖(ぎょうこう)に感謝し、絵手帳とブログの記事を話題にしながらその時間はお互いに至福の時間を過ごした(と、思っていた)。

 ところが、翌日日曜日の礼拝の後、病に伏せっている一人の方を訪れたときのことである。私はその方の病の実情を直(じか)に知り、その方の病のひどさに圧倒されるばかりで、何も申し上げられず、ただひたすら我が身の無力さに打ちのめされて帰ってきた。

 それはどういうことかと言うと、私はこのブログで主イエス様の御力を証することを主眼としているのに、目の前で病で苦しんでいる方に寄り添って、全能の主に向かって、心を合わせて一緒に祈ることもせず、当然とは言え、主の御心をともに確信することもせず、帰ってきてしまったからである。

 これでは、このブログは平和裡の単なる遊(すさ)び物にすぎないと言われても仕方がないと思った。そのような時、読者の方から私の自己満足的な文章のあり方を指摘する貴重なご意見をいただいた。これら一連のことは決して偶然とは思われず、私にとっては全部主から来ていることだと今は思わされて感謝している。

※冒頭の絵はその方の作品群の一部である。2023.1.11と日付が明記してあった。なお、一旦ブログに投稿させていただいた1/6「相対する鴨の群れと青鷺」、1/22「一枚のハガキを貫く真実」、1/29「キリスト者の矜持いかにありや」の三篇は非公開にしました。

神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。(旧約聖書 詩篇139篇23〜24節)

2023年1月30日月曜日

神の国の実を結びたい

赤い実に 心寄せての 冬歩き
 いつも歩く散歩道だが、この木はいつも控え目で気がつかない。ところが今日は珍しく近くを歩んだせいか、気づいた。実が赤かったからだ。一方で「赤いリンゴにくちびる寄せて、だまって見ている青い空、リンゴは何にも言わないけれど、リンゴの気持ちはよくわかる、リンゴ可愛いや可愛いやリンゴ」と昭和にはやった歌詞を口ずさみたくなった。

 人知れず控え目に生きていながら、必ず季節になると実を結ばせるのが、この木だ。それでも赤は目立つが、そうでない色の実も植物にはたくさんあり、それぞれの木がそれにふさわしい実を結ぶのだろう。ふと自分はほんとうに主が喜ばれる実を結んでいるのか、主である木につながっている枝であるのかと考えて悲しくなった。

神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。(新約聖書 マタイの福音書 21章43節) 

2023年1月28日土曜日

『雪の中に立つ裸の木』

彦根城外堀 2015.5.27(※) 
 まことに、私は知る。
 主は大いなる方・・・すべての神々にまさっておられる。
 ・・・主は地の果てから、雲を上らせ、雨のためにいなずまを造り、
 その倉から風を出される。

 あなたは雪の倉にはいったことがあるか。
 ・・・[それは]わたしが押さえているのだ。
   (旧約聖書 詩篇135・5、7、ヨブ記38・22、23)

  かつてあなたは、豊かな葉におおわれた茂み・・・小さな鳥たちが大勢やってきて、そこをしばしの宿りとしました。特別偉大な存在、重要なものというわけではないけれど、しかし、あなたはあの小さいものたちを助けることができました。

 そしてそうすることが、あなたの生きる喜びでした。
 それが今はもう、何もすることができません。

 言いがたい寂寥、病、貧困、あるいは口で説明できない何かが、だれも理解してくれない悩みがあなたに襲いかかり、緑の葉はみなむしり取られてしまいました。

 ですから、どんなに小さな鳥にも、今は宿を貸すことはできません。裸の小枝しかない、この「茂み」に、わたしは似ている。・・・だれの役にも立たない・・・。

 あなたは、そのように、ご自分のことを思っていらっしゃる。

 けれどもこの裸の枝を、もう一度よくごらんください。雪の上に投げかけられる、あの微妙な網目模様を、見てください。茂みの後ろには太陽が輝いていて、それで、小枝の一つひとつが、互いに助け合い、美しい模様をつくっています。おそらくは、あなたの目には見えないもう一つの目が、視線を注いでおられるのです。太陽と、雪と、そしてかわいそうな裸の小枝を、さて、どうしたものかと、思案にくれながら・・・。

 そして、そう、春が、まちがいなく、やってきます。冬のあとはいつだって、春になるのですから。

 その春は、いつ来るのでしょう。緑の葉は、いつ、茂みに戻るのでしょう。あなたの愛する小鳥たちは、いつあなたのところに帰ってくるのでしょう。わかりません。でもこれだけはわかります。太陽と雪の共同作業はきっとうまくいく、そして、だれの役にも立てないという無力感や、虚しい思いや、貧しさ・寂しさの記憶が、一夜の夢のように消え去ってしまう日が、かならずやってくるということは。失われてしまったかのように思われたすべては、取り戻されます。

 心を重くするたくさんの悲しみに、あなたは今囲まれているかもしれません。けれども、次のことばをあなたの心に染み込ませてください。・・・陽の光が軽やかに触れるときのように、早春の雨がしたたるときのように、あなたのたましいは生き返ることでしょう。

 太陽とそして雪を支配しておられる神が、あなたを失望させることは決してありません。

 わが父よ。たとえ凍りつく日、雪におおわれるときであっても、あなたがなおすべてを支配していらっしゃることを、わたしは忘れてしまいます。お赦しください。
 そして父よ、わたしの中の荒涼とした地を、あなたはご存じです。すべてをよみがえらせる柔らかい雨に触れてもらわねばならないわたしの中の荒れ地を、あなたは知っておられます。

(『御翼の陰に隠されて』エミー・カーマイケル著柳瀬訳157頁より引用)

※石垣の向こうに高校の校舎は位置する。そして石垣の上で私たちの頃は「立ち弁(当)」がはやったものだ。そのあたりも今頃は雪が舞っているのだろうか。それにくらべ関東は打って変わって今朝も快晴である。所変われば品変わるだ。その市内にある彦根総合高校が甲子園に出場と聞いて、びっくりしている。

2023年1月27日金曜日

雀の子心配せず歩め歩め

雀の子 冬空仰ぐ 止まり木
 昨日、霊園の帰り道、10数羽の雀が電線に行儀良くきれいに並んでいた。それに目ざとく気づいたのは家内だった。私はと言えば、そのことばであわててiphoneを構えるが、もうその時は、彼らは飛び散ってしまった。またしても家内は言う。「みんなそれぞれわからないように散って行くのよ(かしこいね)」と言う。確かに先ほどまで目の前にいた(と思った)雀たちはあっと言う間に、それこそ蜘蛛の子を散らすように低木の茂みへと姿を消した。「万事休す」である。

 止せば良いのに、家内は今度は低木に近づき木々を揺らしている。その間もなく、雀の子はまた別の低木や近くの木々にへと飛び移って行った。その様子をキャッチすべく再び私はiphoneを向ける。辛うじて撮影したのが冒頭の写真である。右の枝上方に雀の子が一羽散見できる。

 じっと写真を見つめていたら、雀の目は青空に向かっているのが、わかった。そうしたら、裸の木の枝枝も同じように上を仰いでいるように思えた。もちろん当方も上を、青空を感じて豊かな思いにさせられた。

 ここまで書いて来て、エミー・カーマイケルのすばらしい短文を思い出した。『雪の中に立つ裸の木』である。機会があったらまた紹介したい。

二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。(新約聖書 マタイの福音書10章29節)

2023年1月26日木曜日

冬来りなば春遠からじ

見つけたり よみがえり待つ 冬の墓碑

  昨晩は本当に寒かった。それでも湖国の冬は常時こんな寒さだったと、いつの間にかひ弱になっている我が肉体をうらめしくも思った。ところがどうだろう、今朝は昨日と一転して、日差しが部屋に充満し、東南の角地の我が家はすっかり温室模様になった。

 その日だまりで『わがすべてなるキリスト』というハーバート・クラックの著作<コロサイ人への手紙研究>という副題を持つ本を読んでいた。一方、家内は何週間か前に知人から贈られて来た「水彩色鉛筆」を前にして、「たけし君のお墓はどうなっているかな」とつぶやいた。

 私はすかさず「霊園に行こう」と言った。二人ともその霊園のおおよその場所は知っているが、細かいことは知らない。早速自転車で出かけることにした。そして近くにある病院に自転車を止め、徒歩で霊園まで出かけ、さらにお墓を一つ一つ訪ねた。結局一時間近く探したが見つからなかった。その代わり、写真掲載のどなたかの墓を見つけた。

 その後も一生懸命に探したが見つからず、一旦帰ろうとしたが、念のため、管理事務所を訪ねた。簡単に墓所がわかった。家内は草むしりを、始め、きれいにした。たけし君は小学校3、4年生だったろうか、階段から落ちて、それが原因で幼くして亡くなった。当時、団地住まいであったが部屋を解放して行なわせていただいていた「武里こどもかい」という日曜学校に喜んで集っていた。ご両親にとって忘れられない惨事であったが、いつまでも忘れることのないのはたけし君の存在である。

 召されて、50年経つ。つい二、三年前にはお父さんが亡くなった。今お母さんは横浜にご健在であるが80代後半である。件(くだん)の美しい「水彩色鉛筆」は、そのお母さんが家内が使うようにと送って来てくださったのである。

わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。(新約聖書 ヨハネの福音書11章15節〜16節)

2023年1月25日水曜日

『受肉者耶蘇』(3)牧羊者の喜び

 「牧羊者の群」

  いわゆる全世界の主アウグストは、金色輝く宮殿にあって、そのローマ大帝国が滅亡して、その栄華も過去の名残となった後に、彼が侮蔑するユダヤの国に、その御名は日とともに長く輝き、その領土は四海に及ぶようになる君主が降誕するとは夢にも悟らなかったのであります。神は賢者、達者にこれを隠して幼児にあらわされたのであります。

 この夜、牧羊者の一団は、その昔ダビデが父の羊を守り、アモスがいちじく桑の樹を作りながら家畜を率いたベツレヘムの郊外で、羊の群れを監視していました。彼らは元来大胆不逞、世をも人をも物とせぬ連中であります。聖書のうちには美わしく描写されるこの職は、後世まことに賤しいものになってしまいました。ラヒ・ゴリオンは「息子をロバの馭者、ラクダの馭者、理髪師、水夫、牧羊者、旅館の番頭にならせるな、彼らの職は盗賊の業に異ならない」と言いました。

 ところが主の降誕の布告は先ずこの牧羊者に授けられたのであります。彼らが星影燦々たる蒼空の下に頭を垂れながら、歌と笛とに、徹夜の無聊(ぶりょう)を慰められている時もあれ、天使は頭上に現われて、彼らが驚き騒ぐのを鎮めながら『きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました』との喜び極まる音信(おとづれ)を伝えました。これこそまことに歓喜の音信、驚くべき祝福の音信であります。

 イスラエルに永い年月約束され、また彼らがこの永い年月待ち望んだ救い主は降誕されたのであります。その上、卑しめられていた牧羊者をすら贖わんがために降られたのであります。これこそ後年やがて示されることになる恩寵の尊い預表でありました。この伝令の天使は天より翻り降り、聖都の空を過ぎようとして、先ず荒野の漂泊の民である下賤の牧羊者を訪れ、救い主は義しい人を招くのでなく、罪ある者を招き、失われた者を求めて救わんがために降られたことを布告したのであります。

4 天使の歌

 天使はさらに言います。『あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これがあなたがたのためのしるしです』と、同時に天は開かれ、蒼空は天の万軍をもっておおわれて天籟(てんらい)に和しつつ、

『いと高き所に、栄光が、神にあるように。
 地の上に、平和が、
 御心にかなう人々にあるように』

との歌が聞かれたのであります。しばらくして幻は消えました。牧羊者は野を辿って走り求め、天使のことばどおりの嬰児を発見することができました。

羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。(新約聖書 ルカの福音書 2章20節)

2023年1月24日火曜日

『受肉者耶蘇』(2)降誕

3 処女より降誕

 このような人物(引用者註:神のふところにおられたイエスが人間としてお生まれになった方だということ)の誕生が他に類例のないことであるのは驚くには足りません。イエスは神の御手による新たな創造、天来の人物、第二にしてまたさらに偉大なアダムとして処女の胎内に、聖霊によって宿られました。その母マリヤはナザレの住民で、大工を生業とするヨセフと言う者と婚約しました。もし伝説が正しければ、彼はマリヤよりもはるかに年長でした。彼は親切な人物で、マリヤの容態を発見するや、できる限り、マリヤの恥を包むため、ひそかに破談して赦そうと考えました。ところがその目的を実行するのに先立って、驚くべき真理を幻によって示されたのです。

4 戸籍調査

 マリヤの臨月がまさに近づいて、わずらわしく考えられたにもかかわらず、なお、実は神の計画によって、夫ヨセフに伴われ、遠い旅に上らなければならないことになりました。政治に巧妙な皇帝アウグストはローマが誇って『全世界』と称したユーフラテス川から大西洋に及び、ブリテンからナイルの上流にわたりあらゆる征服した地方及び貢物を献げる諸王国を統治する大帝国内に、14年目ごとに一回、人口ならびに財産の調査を命じました。

 ユダヤがもし、後年のように一属地に過ぎなければ、住民はローマの規定に準じて、現在の場所で戸籍に登録されるはずであったが、当時はまだ一王国とみなされていたので、ユダヤの規定によって、それぞれ祖先発祥の地に赴いて調査を受けることになりました。

「ヨセフ、マリヤ、ベツレヘムに赴く」

 ヨセフは元来『ダビデの家、その血統に』属するので、ナザレから三日行程にあたるダビデの町ベツレヘムに赴くことになりました。マリヤの容態がこのようであるにもかかわらず、好奇心と悪意をもって眺める郷里の人々の間に、この特別の事情にある処女を残しておくには忍びず、ヨセフは彼女を伴って出発しました。

「救い主の降誕」

 ベツレヘムに近づいた頃マリヤの苦痛は襲ってきました。そのあたり商隊の宿舎に並んで、旅人の便宜を計る、東洋地方によく見る粗末な建物が見すぼらしく設けられていました。前庭の広場に家畜を繋ぎ、周囲の壁に沿って床をつけ、屋根を設けて、それをいくつにも区画して、旅人に宿るに任せたのです。時あたかも旅客がかなり多くなり、部屋は人で一杯だったので、マリヤはやむを得ず、牛やロバやラクダの類に混じって、前庭へ、秣(まぐさ)を褥(しとね)に代えて足を休めるほかはありませんでした。ここでマリヤは嬰児を産み、その嬰児のゆりかごとしては馬槽(まぶね)を用いたのでした。

 これこそまことに歴史に現われた類いないアイロニーの一例であります。すなわちローマがアラリック王の略奪にあった時(※)、帝都の貴族は男も女も競いつつ難をこの一小邑(しょうゆう)ベツレヘムに避け隠れたのであります。ところがまた自ら知らずして、この大帝国が栄光の主のゆりかごにと馬槽を献げる光栄に浴したこの神聖の小邑は、帝国滅亡の時に、家なく食なき帝都の敗残者に隠れ家を提供したのでありました。

※引用者註:410年のローマ略奪を指す

彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。(新約聖書 ルカの福音書2章6節〜7節)

2023年1月23日月曜日

冬本番なり、我もまた

  白鷺の 水面(みのも)見据える 歩みかな  
 いつの間にか、正真正銘の後期高齢者になり、八十路を目前に控え、目下その王道を走らされている感がする。特に病院へ通う回数が飛躍的に増えた。まして家内の病院行きに付き添ったりする場合も勘定に入れると、病院通いが連チャンになる場合がある。先日がそうだった。

 ところで、病院の待ち時間の長さには辟易させられるが、一方「慣れ」とは有難いもので、病院の待ち時間を有効に使おうとする才覚(?)が与えられている。それだけまだ元気な証拠かもしれない。先日も病院の裏手にあたる古利根川下流の左岸を待ち時間を利用して歩いてみた。今冬は護岸工事でいないと思い込んでいたし、先日のブログ(1/6)でもそう書いたが、川中には例年出会うなつかしい白鷺が二羽もいた。

 写真を撮ろうとしたが、全く川央を歩くのでIphoneではとらえきれず、まことに残念だがこればかりはいたしかたがない。病院のアンテナが白鷺の上部に映っているのと、白鷺自身の姿が水面に映っていることで由とした。と、間もなく、水面に魚が飛び上がった。確かに季節は動いている。この日、暦は大寒だった。今朝は朝から粉雪がパラついている。

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
              (旧約聖書 伝道者の書3章1節)

2023年1月22日日曜日

一枚のハガキを貫く真実

絵葉書を 矯(た)めつ眇(すが)めつ 眺め居り
 先日一枚のハガキを受け取った。近来にないよろこびを感じた。たった一枚のハガキと言う勿れ。そのハガキとは言うまでもなく上段のものなのだが、文面に表されている書き主の思いをあれやこれやと推しはかっては、ハガキを見続けている。なぜか何度見ても見飽きなくされている。

 特に絵柄の素敵さである。青い色が薄く着色されており、それが二匹のかわいいウサギのシルエットになっているだけでなく、上方に夜空であろうか、星々がきらきら輝いている様がうかがえて、書き手のセンスの良さを思わずにはおれなかった。

 そのうちに、この生徒さんが高校3年生になり、初めて担任になった時、私が教会に通っているのを知り、彼女も当時教会に通い始めており、「先生とは『兄弟』なんですね」とうれしそうに言ったことを端なくも思い出した。ほぼ40年前のことだ。

 それからその生徒さんの卒業時に、思いがけないことが起こったが、今考えてみるとまさにそれは先生と生徒という関係だけでなく、それを越えた、「兄弟」として生きるようにという主のみが支配権を持っておられるチャレンジングな出来事であった。そのことがその一年前の彼女の私に対する先のことばをとおしてすでに示されていたのだ。私にとって四十年目にして初めて悟らされた真実であった。

 それはどういうことかと言うと、担任でない別のクラスの生徒が、前途を悲観して卒業間近に死を選ぶ事故を起こした。その時、一人の先生が私に「あなたの出番だ」と言い切り、その現場に急行するように、強く要請されたのであった。

 私はとるものもとりあえず、救急車でその生徒が担ぎ込まれた東京の日本医科大学の病院へと電車を乗り継いで駆けつけた。応急手術を待つばかりになっているその生徒と対面した私は、しきりに親権者である祖父に「ごめんなさい」とベッドの上で言い続ける彼女を覚えながら、御祖父の承諾を得て、手術の無事を声に出して祈らせていただいた。同時にその生徒に聖書の言葉を贈った。「この希望は失望に終わることがありません」ということばだった。(のちに彼女が語ったところによると、彼女は手術の中で大きく宙に「希望」と大書してその苦痛に耐えることができたということだった。)

 その後、その生徒は手術が成功し、生涯負うことになるハンデは残しながらも奇蹟的に立ち直り、自らの自損行為を悔い改め、イエス様を信じるに至った。その上、ご主人と主にある結婚生活を送り二児の母親となり、今ではご子息が立派に成人するまでになった。(参照2013年10月2日「なんだベア」https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2013/10/blog-post.html 2016年8月25日「キリストが第一 他の人が第二 私は最後」http://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2016/08/blog-post_25.html )

 その彼女からも毎年年賀状をいただくが、今年の年賀状には四人でなく、五人プラス愛犬の姿が印刷されていた。さらに「みたまによってみちびかれるなら、あなたがたはりっぽうのしたにはいません」と見覚えのある彼女の字で年初の挨拶が記されてあった。

 四十年前、自ら死を選ぼうとした彼女は、この四十年間生かされて日々御霊なるイエス様に導かれている、そのいのちの幸いを、上記の短い聖書の言葉で端的に証しているのではないだろうか。こうして四十年前、奇しくも同じ学び舎で時を過ごした私たち三人は、一人は教師であり、二人は生徒であったが、今や兄弟姉妹としてともに歩まされているのだと思わずにはおれない。

 矯めつ眇めつ眺めていた一枚のハガキにこんな大切な真実が隠されていたとは本当に不思議な思いがする。そして、このハガキをくださった方が、40年前「先生とは『兄弟』なんですね」と言ったことばは、決して死んでおらず、今日まで生き続けているたいせつなことばであることに改めて感謝する。

隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現わされたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行なうためである。(旧約聖書 申命記29章29節)

あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。(新約聖書 マタイの福音書23章8節)

私の兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。(新約聖書 ヤコブの手紙3章1節)

※文中の青字で表示した二つのみことばはそれぞれ、新約聖書のことばで、最初がローマ人への手紙5章5節、次がガラテヤ書5章18節のみことばである。

2023年1月21日土曜日

カンフル剤

鬼ごっこ 兄弟猫 戯れて

  病院の帰り道、いつもは通らない通りを家内と二人で自転車を走らせていたら、目の前に猫があらわれた。そのすばしこい勢いになぜか惹かれて、自転車を停めて跡を追った。見る見るもう一匹の猫が現れた。今しがた診察を受け、弱りきっているはずの妻が「兄弟よ」と言う。

 猫に気を取られて、曲がるべき道を曲がらず、通り越して、思わず袋小路に入ってしまい、慌ててもときた道に戻って事なきを得たが、沈み込みがちの私たちの気分を引き上げる一服のカンフル剤であった。

 ふたりの者は、仲がよくないのに、いっしょに歩くだろうか。
               (旧約聖書 アモス書3章3節)

2023年1月20日金曜日

内なる光を求めて

日輪の カーテン越しの 暖かさ
 陽光にまさるものはない。いかに蛍光灯の数を増やせども、その光は暗しである。しかも陽光はすべての人に満遍なく与えられている。一方、私たちの心を照らす内なる光がある。その光もそれぞれに平等に与えられている。そんな内なる一筋の光を求めてこの日も人々は集まった。今週の水曜日のことである。

 二人の方のお話をメッセージと証という形でお聞きすることができた。たまたま、今健康を得ている人と抗がん剤を投与しながら食道癌と戦っている方のお二人であった(※)。ところが、お二人の話のうちには不思議なことに旧約聖書中の「伝道者の書」という共鳴盤があり、それがお互いに響き合っているように私には思えた。それはお二人の語り部はとりもなおさず羊飼いであるイエス様であり、そのことばに、耳を傾け、「主を恐れる」ことこそ、幸いな人生であるとする価値観があったからである。

 問題はその主とはどんな方であるかを私たちが知らねば、「主を恐れる」ことは始まらないと、メッセージをされた方は語られた。すなわち、私たちの造り主であり、私たちの罪を日毎に赦してくださる主を恐れ敬うことである、と言われた。なお、ここでは語られなかった主のご存在、再臨の主については2018年12月1日の「キリスト者の希望」https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2018/12/blog-post.htmlがある。

※この方は現在入院中で、喉が切開されていてお話ができないので、その方の証(あかし)原稿を小生が代読させていただいた。

知恵ある者のことばは突き棒のようなもの、編集されたものはよく打ちつけられた釘のようなものである。これらはひとりの羊飼いによって与えられた。(旧約聖書 伝道者の書12章11節)

2023年1月19日木曜日

野草の恵み

たんぽぽの 生きる力に 励まされ
 うすら寒く、薄暮にさしかかろうとするころ、夜のお惣菜を求めてスーパーに買い物に出た。空き地に目一杯雑草の群れがあった。これは何の花と問いかけるや、妻が「『俗名ちちくさ』と言うのよ」と教えてくれた。記憶のむつかしくなってしまった妻が思わず発したことばに慰められた。

 家に帰って果たしてそのとおりか確かめてみた。手っ取り早くネットを利用して・・・。でも納得がいかなかった。それで手持ちの『原色牧野植物大図鑑』(※)を引っ張り出して、調べてみた。どうも「ちちこぐさ」ではなく、たんぽぽらしい。冬から春に向かう季節、一雨ごとに恵みを受け成長するのだ。

見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与えた。それがあなたがたの食物となる。
               (旧約聖書 創世記1章29節)

※この図鑑は先年召された親戚のご夫人から、生前に、植物を愛(め)でては絵を描いている家内にと、いただいたものだ。定価三万五千円とあるが、今どき人々は見向きもしないだろう。ご夫人については2010年2月20日の『花みずきの道』 http://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2010/02/20102.html で触れさせていただいたことがある。

2023年1月18日水曜日

彫刻のある町

怪力の ヘラクレスなり 天を撞(つ)く
 暖冬と書いた途端にいやな地味寒(じみさむ)の冬が正体をあらわした。そんな思いを抱きながら、日曜日のこと、いつも通っている市民文化会館の緩いスロープをのぼって玄関先にたどり着こうとしていたら、普段は遣り過ごしている彫刻作品の配置されている空間が目の前に迫ってきた。

 作者は誰であろうかと、思い、正面に戻り、見たら、『神話Ⅱ 加藤豊』とあった。この方の制作意図を知ろうと思い、早速ホームページhttp://www.yutakakato.com/index2.htmlを調べたがわからなかった。だから、私の上掲の五七五の「ことば遊び」は多分に的を外れており、作者には失礼だとは思ったが、意表をつかれた私の思いをあらわした。ご勘弁いただきたい。

私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。
                (新約聖書 使徒の働き17章29節)

2023年1月17日火曜日

『受肉者耶蘇』(1)イエスの先在

第一章 奇蹟的降誕

 『ああ、崇(たか)きかな、何故に斯くも卑しき厩に汝寝ね給える?
 流るる星の如く生まれ、馬槽(まぶね)に棄てられ給うはそも何人?
 ああ驚くべきかなイエス、人に対するその企てや!
 楽園より自ら好んで己れをこの世に棄て給う、
 ああ大いなるかな その愛。』
                   中世紀讃美歌

1 イエスの先在

 恵みに満ちている私たちの主、世の救い主、イエス・キリストの生涯には、地上に生きたどんな人とも異なる重大な一条件があります。それはその生涯が降誕の日に始まったことではないということです。聖ヨハネはその福音書の冒頭でイエスを『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。すべてのものはこの方によって造られた。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった』『ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た』(ヨハネ1・1〜4、14)と言っています。

 また聖パウロも簡潔なことばではありますが、聖ヨハネと同じように動かすことができない主張をしています。彼はイエスの誕生前の存在を堅く主張しているのです。彼はイエスの死後、一世代しか経っていないし、イエス在世当時の人々がたくさん生き残っている中で、これを読む読者が決して否定できない信仰の上で確定している一問題としてこのことを主張しています。『あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです』(2コリント8・9)『あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです』(ピリピ2・5〜7)

2 イエス自らの主張

 ここに驚くべき不思議があります。イエスの在世の当時、飲食されるのを目の当たりに目撃し、毎日相共に親しく交わった多くの人々がこのように考え、このように主張するに至ったイエスはそもそもどのような人であろうかということです。

 もし、イエスが自らこのように宣言せられなかったなら、彼らがイエスに対してこのようなすぐれた主張をなすことは到底できなかったことでしょう。これは実に福音書記者が一致している記述であります。イエスは自らこの世に降ったことを繰り返し宣言されました。『わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです』(マタイ5・17)と言い、『人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです』(ルカ19・10)『人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです』(マタイ20・28、マルコ10・45)(ヨハネ9・39参照)と称されました。またその宣教の危機迫ったとき不平を鳴らす弟子たちに対しては『もし人の子がもとにいた所に上るのを見たらどうなるのか』(ヨハネ6・62)と問い、その最後には『今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください』(ヨハネ17・5)と祈られたのです。

 その誕生はすなわち『降臨(Advent)』でありました。また、永遠の初めから神のふところにあった人格の『受肉(Incarnation)』であったのであります。

(David Smith『The Days of His Flesh』1~2 頁、日高善一訳1〜4頁参照)

2023年1月16日月曜日

『受肉者耶蘇』(序)

  昨年、私は本ブログをとおして一年間、新約聖書のマルコの福音書に関する青木澄十郎さんの『一日一文マルコ伝霊解』を紹介させていただいた。

 私にとってはこの試みは冒険を要した。それは青木澄十郎さんの全文を読んだわけではなく、彼がどんなことを書くのかもわからないまま、とにかく半分は興味本位もあって見切り発車し、続けさせていただいたものだった。

 何しろマルコの福音書は福音書の中でももっとも短いもので、初めから終わりまで読み通すには一日もかからないし、むしろ時間単位で読めると言ってもいいくらいの代物である。その福音書を一年三百六十五日にわたってせっせと『霊解』を書き続けられるだけでもすごいことだと思っていた。だからその著者の心を知りたいと思っていた。

 一年終わってみて、私がその試みに挑戦したことは正解だった。それまで福音書は何となくわかったつもりでいたが、青木さんの指し示す『霊解』などの助けを借りながら、一方では福音書そのものの精読から、今まで全く気づかなかったたくさんの恵みをいただいた。それは弟子に代表される私たち人間とイエス・キリストとの大懸隔とも言うべき「深い淵」の発見であった。

 その際、私は他の方の著書も途中から参考文書として付け足しさせていただいた。その中に『受肉者耶蘇』がある。この著書は100年以上前に、イギリスで刊行された『The Days of His Flesh』(David Smith著)が原著で、日高善一さんがこの名訳『受肉者耶蘇』を日本の江湖に紹介なさったものである。

 私がこの本の存在を知ったのは、David W. Lambertの『Oswald Chambers』を通してであった。その本の43頁に、オズワルド・チェンバーズが1907年(明治39年)に初めて日本に渡航する際について、次のように書かれている箇所があった。

The diaries of the voyage to Japan make fascinating reading. Chambers gave himself to reading, and we note among the authors on his list at this time were George MacDonald, Walter Scott, and Crockett; also, more serious, Westcott's Gospel of the resurrection and David Smith's Days of His Flesh.

 この箇所を私はうかつにも「デービッド・スミスの肉にある日々」と訳して澄ましていたが、それでも何となく心の中に残っていたのだろうか。それから何年か経って、デーヴィッド・スミスの『聖パウロの生涯とその書簡』(日高善一訳)を古書で手にし、その内容のすばらしさに目が覚める思いを経験せられたことがあった。

 その後、さらに『受肉者耶蘇』下巻を古書で見つけ、読み始めたが、何しろ上巻を飛ばして途中からのもので名訳であることは何となくわかっても言い回しが文語調で、やはり私の読書力では抵抗があった。そんなおり、昨年だったか。ふっと先ほど英文でお示しした箇所を思い出して、ああこの本はオズワルド・チェンバーズの愛した大切な本だったのだ、それは決してデーヴィッド・スミスの「肉にある日々」を述べたものでなく、彼が「受肉されたイエス・キリストの日々」をくわしく書いたものだったのだと改めてその重要さに刮目させられたのだった。

 もうお気づきだと思うが、私は英文を読む際、Days of His Fleshと認識せず、days of his fleshと大文字と小文字の違いを読み落としていたのだった。

 『受肉者耶蘇』は日高さん(※)の訳で上巻から国会図書館のデジタルライブラリーで読むことができる。最近、もちろん英文で読むことができることを知った。今年は昨年末の決心通り、少しずつその『受肉者耶蘇』をできるだけ今風に表現を変えながら、明日から単発的に紹介したいと思う。

※日高さんについては、以前、デジタルライブラリーで彼の訳「フランダースの犬」を読み、その苦心の訳業を知った。なお児童書「都を立て直した人の話」もデジタルでダウンロードできるが、この本は児童書とは言え、エズラ記、ネヘミヤ記を描いていて、いかに彼が聖書と日本人の心に通じている御仁であるかがわかる良書で、一読の価値のある本である。なお、この稿を起こすにあたり、同学の方がおられることを知った。日高さんのことはその方のブログ  http://www.patrasche.net/nello/human/06.html に少し紹介されている。

2023年1月15日日曜日

空模様と我が心

暖冬の 夕雲描く 複雑さ
 お正月以来、こちら表日本では晴天続きの日々が続いたが、昨日はひさしぶりに雨がちょっぴり降った。いつも土曜日は7、8人でイエス様に祈っているが、進行役を買ってくださっている方が、開口一番、「恵みの雨をくださってありがとうございました」云々と祈られたのをお聞きしながら、雨となると、マイナス面でしかとらえない単細胞の我が浅はかさが示され、心の中で感謝した。

 一方、同じ祈り会の席で一人の方が、「吉田さん、あなたの2022年1月11日のこれこれのブログで重大決心をしましたよ」と言われ、一年前の自らの投稿記事をすっかり忘れてしまい、一瞬何を言われているのかわからず、目をパチクリさせるばかりであったが、家に帰って確かめてみて納得した。ご参考までにそのサイトを紹介させていただく。http://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2022/01/blog-post_11.html

 夕方いつもは行かないスーパーに買い物に行ったら空が赤く染まっていた。青あり、灰色あり、朱色あり、見飽きることがない。一方で鈍重な我が心もこのようなのだろうと思った。

ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。(新約聖書 マタイの福音書18章20節)

2023年1月14日土曜日

人とは何者なのでしょうか

 

たおやかさ いのちに満ちて 日数うる

 友人谷口幸三郎画伯の版画である。今頃は膳所高校の同窓会に出席していることだろう。八木重吉は『うすら陽』と題する1925年(大正14年)の詩で「うすら陽がみなぎっている」と歌い出した。言うまでもなく、この作品はその四行詩の第一行を受けている。下段には1月から3月までの暦が一日一日刻まれている。したがって、あと三枚の作品がある。絵の下には鉛筆書きで、うっすらと次の聖句が書かれている。
 
  昼はあなたのもの、夜もまたあなたのもの。
  あなたは月と太陽とを備えられました。
               (旧約聖書 詩篇74篇16節)

2023年1月13日金曜日

行進する子鴨

行進の 弾む啼き声 鴨どち

 このところ天気は良い。先日も鴨どちが一列に並んで順序よく、川中に入っていく様を目の当たりにした。川中にいる鴨も砂地から川に向かう鴨もともに一つとなって、何となくはしゃいでいるように見えて、うれしくなった。

 もっとも、一時はそんなことを思わず、かつての日本軍が渡渉作戦よろしく、兵を進める様を連想したりしていた。鴨は何羽いるのだろう。陸地側にいた鴨が次々と入水していく様は誰も指揮者がいないのに何と整然としていることだろう。

 まして、何日か前に青鷺がまるで先生のように一団の鴨を支配しているかの言説を思わず吐いてしまったが、もちろんそんなことはあり得ない。写真には写っていないが、かの青鷺氏は画面右側にポツンと一人で立っていた。何となく「哀れ」を感じた。

この地上には小さいものが四つある。しかし、それは知恵者中の知恵者だ。蟻は力のない種族だが、夏のうちに食糧を確保する。岩だぬきは強くない種族だが、その巣を岩間に設ける。いなごには王はないが、みな隊を組んで出て行く。やもりは手でつかまえることができるが、王の宮殿にいる。
           (旧約聖書 箴言30章24節〜28節)

2023年1月12日木曜日

永遠の住まいを求めて

結ばれて エプロン姿 初々し
 新婚早々の私たちは、私が主より新しくいのちをいただいた記念すべき洋館(※1)に一緒になってから一ヶ月もいなかったのではなかろうか。写真はその折り撮影したもので、昨日のは家内が、今日のは私が撮影したものであろう。その名も月谷(つきや)町(※2)の由緒ある厳華園という旅荘をあとに、その後、山川町の県営住宅、さらには鹿島町の校長官舎と、最初下宿していた高校前の山下町のSさん宅から数えると、実に「山」の下から、「谷」へ、さらに「川」へ、そして、「島」へと足利生活6年の間に四回引っ越しを重ねたことになる。 

 ところが折角与えられた校長官舎を出て、現在の春日部市へと居を移した。足利市はその町名があらわすように渡瀬川と足尾山系にはさまれた風光明媚なところで古刹もあり、春日部市よりは趣き豊かな町であった。その町をあとにして勤務先からはるかに離れた春日部市に居を求めたことは、まわりの方々から見ると極めて異(い)なることにちがいなかった。

 その事情は春日部に私が主を信ずる際にお導きをいただいた教会があったからであった。仕事を第一にするか、それとも信仰を第一にするかは、いつも問われた問題であったが、仕事に精一杯打ち込むためにも、教会生活をいい加減にしてはならないというのが私の考えで、そのための一大決心であった。

 そして春日部に移り住むにあたっては公団住宅に入居したが、申し込みは教会の知人がしてくださった。子どもが次々生まれその団地住まいが手狭になった時、やはり見るに見兼ねた、これまた教会の知人が家を探してきてくださった。今日住んでいるのはその方がお世話くださった家を母体にしている。

 ふりかえると、一事が万事、これら住まい(足利時代に教頭さんがあっせんしてくださった山下町の下宿先からはじまる住まい)は今日に至るまで、一つとして私自身から発することなく、まわりの人がお膳立てしてくださった上での賜物ばかりであることに改めて気づかされ、お世話くださったお一人お一人に感謝の思いを捧げるのみである。

 その上、1967年、裸一貫で滋賀県の田舎を出て、新天地を求めて、行く先知らずして踏み込んだ北関東の世界に、ついには冒頭のごとく、私をキリスト信仰に導いた一人の女性が、意を決して1970年私の良き伴侶として、同じ田舎から、足利市の厳華園の洋館へと嫁いできたのであった。

 大なり小なり、このことは皆さんお一人お一人が、形は違えど経験なさってきたことでなかろうか。主なる神はご自身のことは二の次にして、私たち旅人に、このようにして地上の世界を歩ませてくださるのだ。それはすべて私たちがまことの救い主に出会い、天の御国に喜んで凱旋するためだ。そのために主は誰よりも貧しい形(飼い葉おけ)でお生まれになり、その死の床は私たちの罪を贖うための十字架であったことを覚えたい。

イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」
                (新約聖書 ルカの福音書9章58節)

※1 2019年3月17日ブログ https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2019/03/1969312_17.html

※2 今をときめく自民党の幹事長の茂木氏はこの月谷町のご出身である。経歴から勘案すると私たちが厳華園で新婚生活を歩んでいたころ茂木少年は小川の前の道を自転車で足利高校へと駆けて行っただろうし、一山越えたところにあった足利商業高校に通勤でやはり自転車で通っていた私ともどこかですれ違っていたのかもしれない・・・

2023年1月11日水曜日

主が家を建ててくださる

我が歩み 恥多くして 誇りなし
 あまり、自分の写真は正視したことがない。けれども昨日何気なしに、未整理状態のたくさんの写真を見ていたら、この写真があった。正視してみると、何と髭をたくわえているではないか。意外だった。と言うのは、結婚式のとき無精髭をはやしたまま臨み、その後、日を改めて結婚式のお礼の挨拶にやはり無精髭のままで親戚にうかがったので、叔母さんから改めてそのことを注意されていたからである。

 ところで新婚旅行に出かける際にはカメラを忘れたので写真は一枚もない。とすると、これは結婚式以来の二枚目の写真である。いわゆる「二枚目」の写真ではなく、正真正銘の二番目の写真である。結婚式当日の写真は、写真屋さんが「これはまずい」と思ったのか、無精髭の部分だけをものの見事に修正して白くなって変な仕上がりになっている。その上、オールバックの我輩がいる。こういうのを噴飯ものと言うのだろう。

 後にも先にもオールバック姿の自分はいない。新婦はどんな気持ちだったのだろう。結婚式前日に現れた婚約者のその姿を見て・・・。その上、リハーサル中、エンゲージリングの交換の段になったら、新婦は持っているのに、新郎である自分の携えたエンゲージリングは無い。その時はじめてリングを入れていたボストンバックもないことに気づく。乗って来た汽車の網棚に置いたままで降りる時、すっかり忘れてしまっていたのだ。

 リハーサルは午後八時ごろだっただろうか。リハーサルどころか、中断してエンゲージリングの所在探しに今度は大童、京都駅に電話する。大阪駅で遺失物としてあることがわかる。リハーサルは北大路にあった教会だったので、京都駅までは北の端から南の端へと心は急く。急いても仕方がない。所在が分かっただけで大助かり。大阪駅で引き取って、彦根市の高宮の家に帰るのは真夜中になってしまった。

 翌朝とるものもとりあえず、再び京都北大路の教会に駆けつける。無精髭はそのあらわれであった。その上、この結婚は双方の両親がしぶしぶ認めたもので、特に私の継母は断じて反対だった。親族が苦虫を潰している中で、喜んでいるのは当人たちだけ。これまた当時の写真がすべてを物語っている。

 さて、掲載の写真に話を戻す。いったい自分はその時、何を考えていたか覚えていないし、今見てもその表情からその気持ちを推し量ることができない。ただ53年経って、この写真を見ると、結婚できて、それまでの一人暮らしと違い、どことなく家庭を与えられた豊かさを感じ取る。

 それにくらべ、バックとも言うべき、本棚の姿には、その日のすべてが記録されているようにも思える。当時、結婚はしたが、住まいは当てがなかった。取り敢えず、当時下宿させていただいた洋館に入れてもらった。10畳ほどのその洋館に、滋賀県の彦根から延々と足利まで運ばれて来たタンスをはじめとする嫁入り道具一式を納め、畳二枚をお借りしての生活であった。そのうちに県営住宅に入れることが決まり、その準備を始めての時の写真だと思う。

 本棚には、自分にとってそれぞれ見覚えのある書物が並んでいる。左上段にはドストエフスキー全集やロシア・ソビエト文学全集があるし、右上段には宮本常一の『私の日本地図』シリーズやチェーホフ全集がある。最下段には芥川龍之介全集が見える。問題は中段に本が無い。おそらく、引っ越しの準備のために中段の本はすでに段ボールに収納されていたのではないか。今となってはわからない。

主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。
               (旧約聖書 詩篇127篇1節)

2023年1月10日火曜日

高み鳥、何が見えるの

 

ゆりかもめ 睥睨(へいげい)したり 糞(ふん)落とし
 昨日はまったく暖かい日だった。こんな日こそ散歩日和だとばかり妻を駆り立てて外出した。しかも写真が示すように青一色の晴々とした空だった。その時、目の前の「ゆりのき橋」の照明灯に、ゆうゆうと「ゆりかもめ」らしき鳥が飛んできて止まった。絶好のシャッターチャンスだった。カメラを操作できない、iPhoneにすべてをゆだねきっている老人によるぎりぎりの写真だ。ご賞味あれ。

鳩は夕方になって、彼のもとに帰って来た。すると見よ。むしりとったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるではないか。それで、ノアは水が地から引いたのを知った。それからなお、七日待って、彼は鳩を放った。鳩はもう彼のところに戻って来なかった。
             (旧約聖書 創世記8章11節〜12節)


 ここまで書きながら、かつて掲載した武田百合子さんのことを思い出した。ご参考までに記す。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2019/10/blog-post_11.html

2023年1月9日月曜日

コロナ禍の教会

しもべの手 パン葡萄酒※ 備え居り

 昨日は市川の礼拝に出かけた。日曜日は決まって礼拝をしている。1970年父が交通事故で瀕死の重傷を負っているのに、非人情にも帰らなかった。まさに律法的と言われても仕方がない。父はそんな私のところに最晩年1981年転がり込んできて、私の生活ぶりを見て、その頃だったか、「日曜日は天下御免の『寝て曜日』なのに、おまえはどうして?」と忙しくしている私に哀れみを込めて言っていた。

 私も最初は随分抵抗があった。新米教師としてスタートしている私にとり、土曜日日曜日は息をつける時であるばかりでなく、逆に教材研究に取り組む絶好の時間であり、こんな時間を礼拝のために半日以上も時間を取られるなんて馬鹿げているし、何としてもそんな日曜礼拝のある生活なんて真っ平御免であったはずである・・・。

 ところがどうあろうか、イエス様を信じて以来、と言うより、主に見出されてそのいのちにあずかって以来、不思議と欠かしたことがない。1970年以来ずっと続いている。父が毛呂山の病院で私が知らない間に亡くなったのも私が春日部の教会で礼拝を持っていた時だった。私はこの受け入れ難い父の死については一晩泣き明かしたが、この出来事を主から受けとめることができた。それは心不全で亡くなった父ではあったが、きっとその日私がどこにいるか知っていたはずだ、と思って大いに慰めをいただいたからだ。

 昨日の礼拝も人数にして10数名であっただろうか、Zoom参加者が16名ということであったから3、40名の礼拝者である。往時の多人数の方が主を求めて集まられ活気に満ちた市川集会の姿(春日部集会の兄貴分に当たる集会)を知っている者としてはさびしいものがあった。しかし、主なる神はこのようなコロナ禍の中でも集まる「心」をひとりひとりに備えていてくださるのだと感謝した。

※集会ではぶどう液を用いている。それは一人の強度のアルコール依存症の方の「救い」のために葡萄酒をぶどう液に変えた愛の配慮に始まったことによる。パンと葡萄酒とは私たちの罪の身代わりに十字架につけられたイエス・キリストの裂かれたからだと流された血潮を象徴するもので「聖餐」と言って、毎日曜ごと信者は味わっている。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
            (新約聖書 ローマ人への手紙8章28節)

2023年1月8日日曜日

ブラボー東京新聞

道示し 木鐸(ぼくたく)なるか 新聞誌

  東京新聞に相次いで私に関連する記事が載った。私は彦根市の出身で、遠く関東の地に来て、初めて赴任した高校が足利商業高校だった。写真左はその足利商業の後身であり校名も新たにされた足利清風高校の記事だ。しかも「まちかどの民主主義」のテーマの例として高校生自身の意見を踏まえての校則づくりのレポートであった。

 1967年(昭和42年)に赴任した同校では校長も新任だった。それもあってかとんでもない専制体制(7時間授業、5分間休み、全校生徒放課後必修クラブ加入)が敷かれた。青二歳であった私はじめ血気盛んな者が中心になりながら職場民主化のために奔走した。その結果、校長はわずか一年で転出せざるを得なかった。もちろん専制体制はなくなり、普通の高校に戻った。忘れられない思い出である。今ではこのことを知っている者も私をふくめ3、4名の教員だけだろう。

 その高校のレポートだけに興味深く拝見することができた。第一、まちかどの民主主義というとらえかたが東京新聞らしいと思う。

 一方、写真右の記事は言わずと知れた桐生選手に関する記事である。アスリートとしての孤独な戦い(精神・身体ふくめて)がわかった。もちろん私はとてもじゃないが運動競技で競うということを知らず、どの程度理解できているかはわからないが、大変なことだと思わされる。ところで桐生選手は彦根市立南中学出身とある。これまた1958年(昭和33年)、私の出身中である高宮中が町村合併(※)のあおりをくらい、廃校になり、彼桐生選手の出身中南中学に吸収されている。

 そして今や「ひこにゃん」はいつの間にかこの手のキャラクターの横綱のようだ。私はその彦根から『資本論』を一生の書と考え、足利に来、その職場民主化運動はまさにその読書会の方々とともに手を携えて参加するという面もあった。それから二年して私はキリスト者になった・・・https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2019/03/1969312.html

※この町村合併に反対する町の議会で乱闘騒ぎがあり、新聞にデカデカ載り、恥ずかしい思いをして修学旅行のため東京に出かけたことを思い出す。「乱闘」ということが民主主義に反すると中学生の自分は考えていた。まさに戦後民主主義の申し子である。それだけでなく、実はこの昭和の大合併の事実こそ地方自治を骨抜きにした元凶ではないかと私は個人的に思っている。なぜなら、その時点で、「高宮」町は「彦根」市に吸収されて、町としての誇りを失ったように思うからだ。まさに「まちかどの民主主義」の昭和版であった。

 主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。
                (旧約聖書 詩篇25篇12節)

2023年1月5日木曜日

三日坊主

一隅に センリョウの実 鮮やかに

 東京新聞はわが愛読誌である。そんな新聞投書欄に迫田妙子さんの「フォト俳句 」という記事が正月三日に掲載された。早速ホームページを拝見した。365日いろんな風景があることだろう。そんな中で一片を切り取っては俳句を読む。中々常人にはできないことだ。今朝もすでに白鳥が載せてあった。

 さて、当方のブログだが、昨年2022年の投稿数は367、一方一昨年2021年は1だった。信じられない数字の違いだった。あまりにも極端だからだ。昨年の367はともかく、2021年の1というあまりの少なさに驚かされた。2021年何もしなかったわけではない。2022年に劣らず自分としては走り回っていたし、それなりに充実していた。

 だとするとブログ作成は自己満足に過ぎないのだろうか。この問いは永遠に続く。昨日もちょっとしたことで不機嫌になり、憂鬱になってそのまま寝てしまった。正月早々買い求めた日記帳もちょうど三が日はきちんと埋めたが、四日目は物の見事に「白紙」。三日坊主を地で行った。

人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。わたし、主が心を探り、思いを調べ、それぞれの生き方により、行ないの結ぶ実によって報いる。
            (旧約聖書 エレミヤ書17章9節〜10節)

2023年1月4日水曜日

賓客われにあり

仰げよ 賓客いずこ 朝日射す

 新年が始まった。こんなに快晴続きの正月も珍しいのではないか。もっとも私の思い違いかもしれないが・・・。新年早々、家族全員が集まることは不可能になった。コロナ禍のせいもあるが、それだけでない、各人の生活スタイルの違いがあり、全員揃えないのだ。もし揃えば孫をふくめて19人になるはずだが、今年は元旦に三人、二日に十五人と分散した。その上パリ在住の次男夫妻はここ数年参加していない。おまけにパリでは二日から仕事が始まっているそうだ。

 2023年は私は80歳、妻も78歳になる。互いに弱さを覚え、「老境」ということばが身近に感じられる。そうかと思うと、93歳になるいとこは元気に達筆の手書きの賀状をくださったし、87歳のご婦人は大晦日にわざわざお電話くださり、弾む声が電話線を通して聞こえてき、どちらが若いのかわからない始末だった。

 そんな時も時、東南の角地にある、温室のような客間や和室に比べれば、台所は西北の寒い場所に位置するのだが、その台所に東から指す日光が鮮やかに一隅の額に射しこんでいるのに気づいた。暗くなりがちな私を指し示す文字群であった。この額は家を新築したときに友人ご夫妻から記念にいただいたものだ。30年ほど昔のことだ。そのこともすっかり忘れている。

光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
             (新約聖書 ヨハネの福音書1章5節)