イエスはその教えの中でこう言われた。「律法学者たちには気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが大好きで、また会堂の上席や、宴会の上座が大好きです。また、やもめの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします。こういう人たちは人一倍きびしい罰を受けるのです。」(マルコ12・38〜40)
偽善と傲慢。人の心にひそんで最も大きな害をなすものはこの二つの悪魔である。最も陥り易い罪であっても最も見出しにくく、また最も除去しにくい。刈り取ったと思っても、あとからあとからと生えてくる雑草の如く根強い。
恐らくパリサイ人や学者らをイエスから遠ざけたのはこの二つの悪魔の業であったろう。彼らが今少し真摯になり得たならば、少なくともニコデモの如くにイエスに来たであろう。彼らが今少し謙遜であったならば、ナザレの大工とのみイエスを見下げなかったであろう。
今日でも世人をイエスから遠ざけるのは結局この二つである。すでにイエスを信じている私たちの敵としても、この二つほど恐るべきものはあるまい。
祈祷
主イエス様、願わくは、私をして幼児の如くなし給え。願わくは、彼の如く正直に、彼の如く真剣に、また彼の如く謙遜ならせ給え。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著301頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌 466https://www.youtube.com/watch?v=cKErbGkx-s4 青木さんのこの日の引用讃美歌は上記のとおり、讃美歌466だが、歌詞の内容はブログ子にとっては少なからず、引っかかるところがあった。が、YouTubeの紹介にあるように、三輪源造という同志社出身で同志社に縁の深い日本人作詞者によるものだと知り、紹介する。
以下は短文ながら、いつも通りクレッツマンの『聖書の黙想』〈197~198頁〉から引用したものである。
主は、非常に熱をこめて、律法学者やパリサイ人に気をつけるように注意を与え、また、その高ぶりや偽善やむさぼりに心するよう警告された。深く心を揺り動かす、この御言葉のととのった記録はマタイ福音書23章に記されている。)
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