人が死人の中からよみがえるときには、めとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。(マルコ12・25)
私は実にこの希望に生きている。私は欲の深い人間であるのかも知れないが、私の宗教生活の大部分はこの希望にかかっている。『天の御使いたちのよう』な生活。何という立派な生活であろう。『めとることも、とつぐこともなく』とあるから現世における情愛を一切否定した生活、煩悩の絆を絶った生活で、すべてが単色の銀世界であると考えてはいけない。
親子の愛、夫婦の愛、兄弟の愛、友人の愛、その他の一切の愛が極点まで充実し、純白に浄化され、完全に融合し調和し、この世において味わい得る、またかつて味わった一切の愛の妙味は、そのすべての滓(かす)を取り除かれて、純真な『愛そのもの』の味だけ残るのである。換言すれば神とキリストとヨハネと母と私とその他のすべての人が皆お互いに親子夫婦兄弟姉妹となるのである。
その時到らば彼は我が父であり兄であり弟である。彼女は我が母であり子であり妻であり姉であり妹である。この世で異なった種類に属する種々の愛は渾然一体となって天使の愛の如くキリストの愛の如くなる。誰も彼もこの愛を与え、誰も彼もこの愛を受ける。
祈祷
よみがえりの主イエス様、あなたは私のために『天の御使いたちのようになる』生活を備えてくださっていることを感謝申し上げます。その時が来れば、私たちはあなたの愛を知りあなたの愛を味わい、この人にもあの人にもあなたの愛を見出すことができることを信じ、私の心にもその備えを為せるようにしてくださることを祈りながら、その時をお待ち申し上げております。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著284頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。)
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