2022年7月16日土曜日

子どもたちの美しい挿話(5)

『子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。(マルコ10・14〜15)

 今一度私の幼少の時の記憶にふけらして下さい。その頃に私を動かした賛美歌がある。それは461番である。曲は同じであるが歌詞が違っている。幸いにして第一節だけは記憶から呼び起こすことができる。
 イエス 我を愛す 聖書にぞ示す
 彼強ければ 我おそれじな
  ああイエス愛す ああイエス愛す
  ああイエス愛す せいしょにしめす

 それで私は小学校の友達から『ス愛す』と渾名をつけられ、石を頭にぶつつけられて血が流れ出たこともあった。が、幼な心にイエスの愛はいつも有り難く思われて忍ぶことができた。昔も今も変わりなき主イエスは62歳の今日まで同じ愛をもって愛し、いつまでも子供として愛して下さることを感謝ぜずにはおられない。

祈祷
主イエスさま、あなたは八歳の時に私を愛し、六十二歳の今もなお愛し、変わらぬ御手をもって私を愛し、さらに永遠に私を愛して下さることを感謝申し上げます。願わくは、あなたを信じるすべての者に祝福がありますように。アーメン


(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著197頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。この文章は1870年生まれの青木さんが62歳の時書かれたと言うから、1932年〈昭和7年〉のものだ。

 岩波の近代日本総合年表第三版によると、1863.217の記事として

 ヘボン邸、横浜居留地三番館に新築移転。診療所、外国人の宗教的集会所、日本人の日曜学校・英学塾に使用〈日曜学校の初め〉

と、ある。なお、昨日触れた賛美歌は聖歌424番で日本人作詞者の三谷種吉の作品であった。歌詞を写してみる。

1 十字架にかかりたる救い主を見よや
  こは汝〈な〉が犯したる罪のため
  ただ信ぜよ ただ信ぜよ
  信ずる者はたれも 皆救われん

2 死よりよみがえりし命の主知らずや
  罪に死せる人よ 今仰げ

3 イエスは罪のために 苦しめる者をば
  あわれみて救わんと 招きたもう

4 罪より数われて 限りなき命を
  のぞむ者はイエスに 今すがれ )

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