すると、パリサイ人たちがみもとにやって来て、夫が妻を離別することは許されるかどうかと質問した。イエスをためそうとしたのである。・・・モーセは、離婚状を書いて妻を離別することを許しました。」(マルコ10・2〜4)
パリサイ人らは実に奸智がある。イエスはペレアに入った。ペレアはヘロデ王の領地である。バプテスマのヨハネは妻の問題でヘロデに首を斬られたのである。イエスはパリサイ人の憤慨するほどに当時の道徳問題には常に寛大であった。安息日を守ることや断食することや十分の一を献金することや食前に手を洗うことなどについて自由な説を執られた。のみならず罪人らを愛してこれと交わった。
が、一つだけパリサイ人以上に厳格なことを主張していた。それは離婚の問題である。これを熟知していた彼らは今それを利用してイエスの立場をヘロデ王の前に不利を導こうとしたのである。だが、死を決しているイエスにそれが何であったろう。世の知恵は如何に巧妙であったとしても、まっすぐに十字架を見つめて進む者には何らの威力もない。
祈祷
主イエスよ、願わくは、私をもあなたのように一直線に十字架をさして進む心をお与え下さい。決死の心をもって日々夜々を送らせて下さい。私たちはそこにのみ真の平安があることを知ります。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著189頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。以下は、クレッツマンの昨日の文章の続きである。
この地にあって、イエスは、群衆とこの世に、神の最も古い定めである婚姻についての教えを説き、同時に神の愛と救いの恵みにあずかるものとして、幼な子たちが持つ最高の栄誉を指摘された。
さて、ここで、パリサイ人たちはイエスを陥れようとして、一つの質問をした。周知の通り、東洋人はたいてい、婦人を低い者とみなしていた。モーセの律法に反するにもかかわらず、ユダヤ人もまた、男が妻を欺くのはたやすいこととしていた。彼らの指導者たちの申命記24章1〜2節のような章句の意味に関する議論だけでは、彼らの助けになっていなかったのだ。)
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