イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄って、御前にひざまずいて、尋ねた。「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」(マルコ10・17)
ルカ伝には『ある役人』とある(18・18)多分その地方の会堂司であったろう。エルサレムの宗教家がこぞってイエスを十字架に付けようとしている時に、この青年は熱心に『走り寄っ』た。
ニコデモのように夜陰に乗じて来たのではない。真剣であったに違いない。が、真剣さが足りなかった。彼はかなり大きな決心をもってイエスに来たのであるが、イエスの命令は彼の予期しなかったところであった。すなわちイエスに対する絶対服従であった。
十二弟子に対して幾度も言われた『自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい』とのそれであった。イエスにはこの有望な青年を十二弟子の中に加えたいとの心が動いたのではなかろうか。それはともかく、イエスは彼にたった一つ欠点のあるのを見抜かれた。それは財産に対する彼の大きな執着である。これだ。誰にでもたった一つ捨て難いものがある。たった一つの献げかねるものがある。それを棄てなければいけないのだ。たといそれが何であろうとも。
祈祷
主イエス様、願わくは、私の心を照らして下さって私が最も棄て難いとしているものを指し示して下さい。ただ一つの献げ難いものをあなたの祭壇に献げる用意をさせて下さい。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著200頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。 この箇所は三谷隆正さんの『信仰の論理』に収められた文章を読んだのがはじめである。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2010/11/blog-post_30.html富める青年とイエス様とのすれ違いはどこにあるのかいつも考えさせられるが、未だに充分理解しているとは言えない。下記はクレッツマンの『聖書の黙想』160頁からの引用である。
富と力とを兼ね備えたこの若者の物語には、何か、とても興味深い、心を引きつけるところがある。この若者は明らかに真剣だったからだ。イエスが道を行かれるとーーそれはいっそう、十字架へ近づける道であったことは心すべきであるがーーその途中で、一人の男がイエスの後から走り寄って、うやうやしく、御前にひざまづいて尋ねた。
「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」
偽らない賛辞のこの言葉も、主の心を満たすものではなかった。この若者は、永遠の命を受けるためには、その前にまず、もっと深く主について知らねばならなかったのである。永遠の生命を受けることに関して、この男が考えつくことのできた唯一のことは善いことをするということだった以上、彼の質問に対する答は、まず律法から導き出すことがふさわしかった。
一方、David Smithは『受肉者耶蘇〈Days of His Flesh〉』の38章の7 若き役人 で次のように述べる。
イエスのベタニヤ滞在中に一日未見の人物が請願をもたらしたのであった。彼は若い男で、また会堂の司の職にある有用な人物であった。彼はイエスがまさに弟子たちと共にその宿を出ようとされる所に訪ねて来て、馳せ寄りながら、イエスの前に跪いて『尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。』と尋ねた。これはかの狡猾な律法学者が会堂において提出した質問であって、おそらくエルサレムに上られる道、三ヶ月以前に説教せられたエリコの会堂の主であって、律法学者とイエスとの間の論争並びにイエスの永遠の命に関する説教を聞いたのであろう。
罪に対する警告の矢はその霊魂を破って、以来痛みに耐え兼ねたのであった。イエスがベタニヤにおられると聞き、その心の煩悶をおろさんとしてエリコから幾マイルを辿って来た。彼はパリサイ派であったが、その中の高尚な部に属する人物で、諧謔的に『我に我が義務を知らせよしからばこれを為さんパリサイ人』という長い称号を与えられた一派のうちのものであった。その無知の頃のタルソのサウロと等しく彼は神に対する熱心家で、律法によっては遺憾なき義に達したものであった〈使徒22・3、ピリピ3・6〉。けれども、義の事業を全うするのに全力を注げるにかかわらず、平和を得ることができなかった。その霊魂はなお何の満足もなかった。彼はその多くを行なったけれども、なお欠いているところがあった。『尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。』と唐突に、何の説明も加えず、その霊魂の煩悶を訴えたのであった。)
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