イエスは、そこを立って、ユダヤ地方とヨルダンの向こうに行かれた。すると、群衆がまたみもとに集まって来たので、またいつものように彼らを教えられた。(マルコ10・1)
『そこを立って』とあるのは『そこを立ち上って』と訳した方がよいと思う。永い間ガリラヤ伝道の中心地点として愛しておられたカペナウムに最後の別れを告げてユダヤ地方を指して旅立たれたご様子を示した文字である。
最も力を注がれたガリラヤ伝道も終わりを告げ、いよいよエルサレムに上って十字架につき給う最後のご旅行である。『ヨルダンの向こう』とはぺレアである。『いつものように彼らを教えられた』とは十一月頃から翌年三月の末頃までペレア地方の伝道に従事し給うことを指したものである。この三、四ヶ月間の記録はルカが最もくわしい。ルカ伝9章51節の『エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ』とあるが、本節の『そこを立って』に相当する。
この時サマリヤ伝道をなさるおつもりであったが拒絶され、ペレアに向かわれた。ルカ伝10章から18章14節まではこの間の出来事や御教訓の記録である。最後の御伝道としてすこぶる興味深いものである(この機会にご一読下さい)。十字架を前にして、悠々と最後の伝道を試み給うイエスを今一度深く思いたい。
祈祷
主イエス様、今私どもをして静かに厳粛に十字架を前にして3、4ヶ月の伝道を試み給うあなたのお姿を思わせて下さい。涙なくして思うことはできません。主よ、ありがとうございます。終わりまで世を愛し給うたことをありがとう存じます。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著188頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。上記文章中に青木さんがわざわざ注記しているように、ルカの福音書に明記してあることで、マルコの福音書がカットしている出来事がたくさんある。従ってこれまでのようにデーヴィッド・スミスの『受肉者耶蘇〈Days of His Flesh〉』の叙述を一時断念せざるを得ない。一方クレッツマンの『聖書の黙想』はマルコの福音書の黙想であるので、これまで通りご紹介できる。以下はそのクレッツマンの23「婚姻と幼子たち』 〈マルコ10・1〜16〉と題する文章の冒頭部分である。〈同書153頁より引用〉
イエスのガリラヤでの伝道生活は終わりを告げる。一行が訪れたカペナウムやベッサイダやコラジンなどという土地は、その訪れの時を利用しないままに終わってしまった。一個人、一社会、あるいは一地方、いずれにしても、教えに耳を傾け、信ずるように提供される機会というものには常に限度がある、だから、時期を逸してしまうと、取り返しがつかない。
主はゆっくりと、エルサレムへの道をたどられたが、その地でご自身を待ち受けているものが何であるかをすっかり知っておられた。ヨルダンの向こうのペレヤでは多忙をきわめた。人々は彼のもとに群がり、主はこの人たちの必要とするものを授けられた。もし、彼がここでこのように、群衆を癒すことがなかったなら、ご自身の神性を否定することになっただろう。また、もし、彼が生命の糧を群衆に与えることがなかったら、ご自身の務めに忠実でなかったことになっただろう。)
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