2022年7月6日水曜日

霊魂のたいせつさ(3)塩の力

塩は、ききめのあるものです。しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。あなたがたは自分自身のうちに塩けを保ちなさい。そして互いに和合して暮らしなさい。(マルコ9・50)

 マタイ伝5章13節には『あなたがたは地の塩です』と言ってクリスチャンを塩にたとえている。ここでは幾分かその意味もあるけれども、信者自身よりは信者の心に宿る聖霊にたとえてある。

 『自分自身のうちに塩けを保ちなさい』とは聖霊を指すのである。私たちは内住の聖霊によって味のよい人間となるのである。かつ、自己中心でなく『互いに和合し』『互いに人を自分よりもすぐれた者と思う』(ピリピ2・3)ことが出来る。

 もし信者が聖霊という『塩け』を失ったならば、塩けなき塩のようなものとなってしまう。その時は、周囲の者に味をつけることもできず、社会の腐敗を止めることも出来ず、全く「外に棄てられる」廃物となってしまう外はない。

 前節には聖霊を『火』にたとえ、ここでは『塩』に比してある。ともに心を浄めることを含んでいるが、塩の方がより温和な表れを指してある。

祈祷
主よ、私たちを聖霊の塩をもって味つけてください。キリストのものであるがゆえに、かえって世の人の前にさえも妙味ある者と見られるまでに至らせてください。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著187頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。)

0 件のコメント:

コメントを投稿