2022年7月23日土曜日

富める青年(5)

『貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。』(マルコ10・21)

 世に甚しい貧富の差のあるのは社会の組織の欠点によることも確かであるが、また個人の実質の差によることも確かである。だからイエスが『あなたがたは、貧しい人々といつもいっしょにいる』(ヨハネ伝12章8節)と言われた通り、社会組織が如何に変わっても貧者はいつの時代にもあるであろう。それのみでない。強者と弱者、優者と劣者、は常に社会に存在するであろう。

 キリストを信ずる者はこの機会を善用して『貧しい人たちに与え』弱き者を助け、劣れる者を導いて行くことができるのである。助けたり助けられたりする美しい社会が出来るのである。自ら貧しかったイエスでさえ貧しい者に施すために財布をユダに預けて置かれた(ヨハネ伝13章29節)。貧しい者を省みることは信者の生活のプログラムの一つでなければならない。

祈祷
神様、私共は自らの貧しい中からもさらに貧しい人を省み、自らの弱い中からもさらに弱い人を思い、さらに劣れる立場にある人を助けたいという心を常に持たせて下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著204頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。 今日はこのところ遠ざかっていたA.B.ブルースの所説を紹介しよう。この文章はすでに紹介した結婚に関する主のお考えhttps://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2022/07/blog-post_11.htmlに対して財産についてはどうお考えになったかを明らかにしている文章である。

 もう一つの自己犠牲ーー財産を捨てることーーは、永遠のいのちについて質問しに来た青年との会見から、イエスと弟子たちの間で注目される主題となった。イエスはこの熱心な質問者の心を読み取り、彼が霊的自由と誠実な心において一致がなく世的な財産を愛しているのを見抜き、次のような助言を与えることによって指導した。「もしあなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい」〈マタイ19・21〉。

 すると、その青年は悲しみながら去って行った。彼は永遠のいのちを望みながら、どんな犠牲を払ってもそれを得ようとしなかったからである。この具体例を、イエスは十二弟子を教えるために考察の対象とされた。)

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