2025年10月31日金曜日

私の「神無月所感」

『アンデルセンから イブとクリスティーネ』 吉岡賢一作
 10月も今日で終わりだ。とうとう一度もブログを開かず仕舞いだった。このまま11月に突入しても良いのだが、一応その間何を考えていたか少し書いておこう。3日(金)には、朝、三男の義父が亡くなった。75歳であった。全く元気そのものだったが、5、6月ごろから体の調子が悪くなられた。あれやこれやで私がその詳しい病名を知ったのは7月になってからだった。日頃「死は終わりでない」と確信を持っている者として、何とかイエス・キリストにある永遠のいのちをお伝えしたく都合四回ほどお見舞いした。

 最初お見舞いした時には、何でも自分の思いを神様、イエス様にぶっつけてください、神様は必ず聞いてくださいますから、とお話しし、神様がイエス様を信ずる者に永遠のいのちを約束していてくださることをお伝えして辞去してきた。それから二週間ほどして再びお見舞いに行った時には、明るく、「祈ってましたよ」と言われた。嬉しくなった。しかし、その後病状は一層悪くなられた。あとの二回のお見舞いの時は声をかけるのがやっとだった。何とか「永遠のいのち」を確信されて死の門を潜っていただきたいと思い、別にお手紙も書いたりしたが、自分の心のうちでは十分伝えきれなかったという悔いた思いが、重く支配し続けた。しかし、最近やっと自分を責めるのでなく、このことも主は聞いてくださって、不完全な私を通して主ご自身が直接、語りかけてくださっていたのだと思うようになった。そして、重い鉛に押しつぶされるように、心を鬱屈させる思いから少しずつ解放されるようになった。

 このような理由の他、初旬には私も妻も大変な風邪にかかってしまった。それも長引いた。今では脱出したが、中々どうして大変だった。その間、政界の動きは急ピッチで展開し、出す出すと言っていた石破(前)首相の『戦後80年所感』は総辞職ギリギリの段階でやっと日の目を見た。そして、首相は高市早苗氏に代わり、連日のようにその様子が映像を通して茶の間に飛び込んでくる昨今になった。その上、大変な高支持率ぶりで、こちらとしては色々批判したいところもあるが、まずはお手並拝見とばかり、冷静に政治・経済の動きを見ているところで、意見を表すまでには至ってはいない。まあ、こんなわけでブログを休んでしまった。昨日だったか、ダニエル書の次の記事を読んだが、それに関してF.B.マイヤーが書いていた文章を通して考えさせられた。

私、ダニエルは、幾日かの間、病気になったままでいた。その後、起きて王の事務をとった。しかし、私はこの幻のことで、驚きすくんでいた。それを悟れなかったのである。(旧約聖書 ダニエル書8章27節)

 ダニエルは、重大な幻(雄羊であるメド・ペルシヤが雄ヤギであるギリシヤに打ち倒される運命が預言されている)を朝に夕に与えられながら、なお平常どおり引き続いて、ペルシヤ王朝に仕える家臣として、「王の事務をとる」のでした。私たちも朝に夕に幻を与えられねばなりません。しかし、それとともに、この世の職務にも携わらなければなりません。窓を開いて祈ることなかるべからずであるとともに、机の前に執務することもなかるべからずなのです。たとえ、そのわざが、やがての日には過ぎ去っていくものであったとしても、その時まで忠実に行なうのです。(『きょうの力』F.B.マイヤー著559頁より)

 このマイヤーの文章を読みながら、ルターの言った(?)とされる言葉を思い出した。

たとえ明日世界が滅びることを知ったとしても、私は今日りんごの木を植える。

それと同時に、今日10月31日は宗教改革記念日であることを端なくも思い出した。言うまでもなく、1517年10月31日、ルターはウイッテンベルヒ城教会の門扉に、「九十五ヶ条の論題」を貼り付け、当時の法王を頂点にいただく教会に、聖書に基づかない贖宥状発行の非を訴えたのであった。考えてみると先ごろ話題になった、自民党と日本維新の会の協議事項は十二箇条の項目に分かれていたが、数においてこの「論題」ははるかにそれを越え、しかもその内容たるや、一切の妥協を排した文書で、いかにそれが徹底的であったかを知る。まさに「宗教改革記念日」として、今日まで、その日が覚えられている理由である。

 10月最後の日、かろうじてブログの穴を埋めた気分である。読者、諒とせられたし。 

(冒頭の絵は、作者が今年度の二紀展に出品された作品である)

2025年9月24日水曜日

こんぺいとう、まんじゅしゃげ、ゴッホ

 秋の野原、いや川縁と言うべきか、可憐な花々が散歩のたびに目を楽しませてくれます。この写真もそのような花の一つでした。9月16日に撮った写真です。その折り、花の名前を言い当てることの名手である妻に尋ねたところ、「わからない」という答えが返って来ました。

 ところが、何と今朝のことです。この写真を見て、妻の口から「金平糖の花」だと即座に答えが返って来ました。うれしくなり、ネットでも調べましたが、やはり「金平糖の花」でした。昨日は今季初めて「曼珠沙華」の花に遭遇しました。二、三日目を離している間に忽然とこの花が目の前に出現した感じです。
 写真を見て「何と素晴らしい赤だろう」と妻は申します。確かに赤は赤でも見れば見るほどやはり独特の赤ですね。この曼珠沙華は昨日散歩のおり二人して見かけたものですが、そのことは覚えていないようです。しっかり彼女の記憶原野には残っているのでしょうが、それをうまく取り出すことができないのだと思います。

 私としたところで、この曼珠沙華の咲くところは毎年決まっているのに、つい先だっても、急(せ)いてしまって、妻の過去の絵を載せ『待ち遠しい、彼岸花』として投稿してしまいました。今年のいつ果てるとも知れない長い夏にうんざりしてとっくに曼珠沙華もダメになっただろうと勝手に決めつけてしまっておりました。しかし、曼珠沙華はきっちりほぼ同時期にいつもと同じところに芽を出し花を咲かせてくれたのです。

 テレビと言えば、ニュースしか見ない、それも午後9時台のものしか見ない日々ですが、昨晩は珍しく『ゴッホが日本にやって来た』〜名画の誕生と家族〜を題名に惹かれNHKプラスで視聴しました。ゴッホと言えば二人とも大のファンですが、見ていて、私のファンぶりは浮ついたもので、妻のファンぶりは地についたものだと思わされました。

 ゴッホのことについて、私は確かにその手紙や絵の存在を知っていて誰よりもゴッホを知っているものと自負していましたが、彼の37年の短い生涯のこともその画業を彼の家族がいかに受け継ぎ、後世の私たちに伝えようとしたかを知るに及んで大層考えさせられました。ましてゴッホの弟テオのひ孫の方が今回の東京都美術館の展示のため来られ、作品展示のアドバイスをなさっておられることを知り、今も生きている「ゴッホ」を思わずにいられませんでした。

 見終わって、妻が「ゴッホが好きだ」とポツンと申しました。このような発語は私にとって驚きでした。「金平糖」の発語と言い、「好きだ」と言う感情表現は、このところすっかり無口になっている妻の、何よりも生き生きとした健在ぶりを物語っていたからです。ゴッホ読みのゴッホ知らずよりも、ゴッホの絵を好きだと言える妻の真実な姿から一瞬多くを教えられました。私自身聖書読みの聖書知らずになっていないか、このことも思わされました。

 そんな今朝の東京新聞の『筆洗』欄は、聖書の言葉を正確に伝えて、トランプ大統領の態度、その結果及ぶアメリカ社会の分断を嘆いていました。その中で銃殺されたカーク夫人の言葉は福音の勝利が示されているもので感動しました。指導者がいかにあろうとも主なる神様のご判断・裁きは、私ども日本の政治家の上にもあることを思います。自民党の総裁選選びが始まりました。正しく自己の信念を語ろうとしない政治指導者が何人いようとも政治は変わらないと思いながらも、何とかふさわしい方が選ばれて欲しいと思う今日この頃です。

もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(新約聖書 ローマ12章20〜21節)

20年ほど前にゴッホ終焉の地で手にした一枚の絵です。

2025年9月23日火曜日

I was born

 昨日は思い切って外出しました。ずっと家に引きこもりがちだった者にも(散歩を除いては)、秋風が、誘い水になりました。昔、「若者よ、書を捨て、町に出よう」と確か寺山修司だったかな、言ったという記憶があります。久しく親交のあった関西の友人が、関東へ引っ越して来て、いつでも会えると思っていたのに、10月には再び関西に戻ると風の便りに聞き、出かけました。

 その序でに妻も同道して、浦和の孫の家を訪問、午後は妻はそのまま次女の家にとどまり、私は友人と会いにバス・電車を乗り継いでスタコラ、スタコラと川越まで行って来ました。前日、1〜2時間のお交わりと約束した時は1時間が精一杯だと思っていたところ、話が弾んで二人とも時の経つのを忘れ、あっと言う間に2時間が経ち、妻のことが気がかりなので、渋々私は話を切り上げざるを得ず、再び浦和に戻り、そして春日部の家に二人して帰って来ました。

 友人は五年間関東に過ごしていましたが、私は彼が関東、しかも埼玉県内に来たとき非常に嬉しくなり、地続きの県内なのでいつでも会えると思っていたので、再び関西に帰ると聞いた時は泡を食ってしまいました。しかも、この間コロナ禍もあり、あっと言う間に、5年が過ぎてしまったのです。昨日の再会は、もちろん二人の間では時空の隔たりはなく、お互いに直ぐ胸襟を開いて話し合うことができました。いい秋のプレゼントをいただいた思いです。お土産に吉野弘の「I was born」「いのちは」「動詞・ぶつかる」などたくさんのお手製の作品をいただいて帰ってきました。

 「I was born」はもう一人の友人が今度京都で個展(※)を開くが、そのDMに共通する思想だと思いました。個展を開く友人は

「70年あまり自分の足で歩いてきたと思っていたけれど Be Carried いつも運んでもらっていた。生まれたときも I was born 受け身であった。 
”あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうして来たのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。”(イザヤ書46章4節)

と書きました。
※谷口幸三郎展 えをかくせいかつ Be Carried- 2025.10.3~15 CAFE GALLERY フクウチ 京都市東山区新門前通り大和大路東入切り通し上る西之町211番地2電話 075ー757ー7828

 私は昨日会った友人に、個展を開く友人のDMを紹介していました(もっとも、その友人も既にそのDMはもらっていたのですが・・・)。吉野弘はその「I was born」の作品の中で、彼のお父さんが、友人から蜉蝣(かげろう)の短い命とそれにもかかわらず、卵を抱える蜉蝣の雌の話を聞いて「そんなことがあってから間もなくのことだったんだよお母さんがお前を産み落としてすぐに死なれたのは。」と書いていました。

 産み落とす母の境涯も去ることながら、産み落とされたこどものその後も如何なる苦しみ悩みが訪れることでしょうか。しかし吉野弘は「I was born」と題したのです。そこには人知を越えた神様の愛があったのではないでしょうか。

 冒頭の写真は孫の家に並んでいた靴の数々でした。一人娘として小さい今からいかに愛されているかがわかると言うものです。一人っ子の私も82年前にこのような両親の愛を受けていたのだと思わざるを得ませんでした。顧みれば、主なるイエス・キリストは父なる神のひとり子でした。にもかかわらず、次のみことばどおり、私たちを愛するために敢えて私たちの罪の身代わりに十字架にかかられたのです。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(新約聖書 ヨハネ3章16節)

2025年9月18日木曜日

秋ぢゃ!秋ぢゃ!と歌ふなり

 やっと秋が来そうだ。秋と言うと、人知れず口ずさむ歌がある。それはこんな歌詞だ。

  秋の日暮れに
  蓑虫ゆらり
  ぶらりぶらぶらしていても
  なぜか心は侘びしくて
  赤い夕日に願うても
  やっぱりこの世は風まかせ

 うろ覚えだし、自信がない。今流行りのAIでも明らかに引っ張り出してこないのだから、多分どこか歌詞が違っているのだろう。大学一、二年グリークラブに入っていたのでその頃教えてもらった歌に違いない。読者の方でどなたかご存知の方がおられたら教えていただきたいものだ。

 その代わりと言っては何だが、当時盛んに練習させられた「月光とピエロ」(堀口大學作詩 清水脩作曲)を昨日は男声四部合唱でたっぷり聴かせてもらった。その折の、と言っても六十年ほど前のこの9月10月の何とも言えない寂しさを思い出した。

 一方、週末帰省して結婚前に妻と互いに交わし、段ボール箱に仕舞込んでいた手紙を宅急便で送り、こちらで今朝これまた六十年ぶりに紐解いてみた。ほとんど封印していた書簡だが、1965年から1970年結婚するまでの五年間にわたる往復書簡である。双方とも福音を受け入れていない時の往復書簡から、もちろん、結婚前の妻が1967年に福音を受け入れ、私に勧めるが私は頑強に拒んでいた往復書簡が中心だ。たとえばこんな調子だ。

 やはり残念ながら信仰できそうにない。今日は吉本隆明『マチウ書試論ーー反逆の論理』を読んだ。これはマタイ伝について書いた評論である。大学時代から四、五回は読んでいるものである。そこにこういうことが書いてある。「すべて信仰によることは悪ではあるまいかとさえ考える。それは人間の思考をでなく、思考の意味を奪うからである」君がどんなに信仰の正当性を強調しようとも、僕には信仰というものは自己愛に過ぎないのじゃないかという懐疑がある。君にとって信仰が大事であるのは認める。それは科学、真理をも包む絶対的な真理であると君はよく言う。しかし僕はあくまでも科学者ーー論理の立場に立ちたいと考える。僕は絶対に聖書は熱心に君と一緒に読める。しかし信仰は別だ。どうかそのような僕を愛してくれないか。愛が魂の問題であることは同感なのだ。そしてそれが祈りになることも知っているのだ。僕は僕なりに謙虚に君を愛してゆける自信をもっている。こういう自信を持つことさえ神への冒瀆だと君は思うのだろうが、そこに僕は自己の責任を回避した人間の卑怯さを自戒するのだ(後略)(1969年1月22日)

 結局、このような私に対して主なる神様は私に上よりの愛の鉄槌を下された。以下はその記録の一つである。

 現在、その私は妻と聖書の輪読を日夜行なっている。もちろん、信仰があっての輪読である。全く、苦にならない。それどころか、日々聖書から多くの励ましをいただいている。妻が病を得ていて、先のことを考えると絶望することもある。しかし、主なる神様が妻を私を天の御国に受け入れてくださると確信でき、すべてを主におゆだねできる幸いを日毎に味わわせていただいている。

 例年にない暑い夏に閉口していたが、秋の到来とともに沈思熟考の日々としたい。

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(新約聖書 エペソ2章8〜9節)

2025年9月11日木曜日

石破首相退陣表明

ニラの花 たおやかにして 屹立す
 とうとう、石破首相が辞意を表明した。再び佐藤正明さんがセミにあやかって早くも自民党の総裁選選びを一口マンガにまとめ上げていた(9月10日東京新聞朝刊)。題名は「次は短命に終わらないように」となっている。画面は地下と地上に分かれ、地下が7割くらい、地上が3割で樹木が覆う中で、敢えなくも蝉に扮した一人の男が仰向けに倒れている。その男に聞かせたいのか、「ジージー ミンミン」と長いこの夏に今まさに消えなんとして鳴いている蝉の声が擬音として描かれている。言うまでもなく倒れているのは石破氏である。

 前回印象的であった同氏の一口マンガは7月30日の発表(※)だったから、この作品で言うなら40日の期間になる。しかし、この作品の真骨頂は、何と言っても地下深く出番を求めて、蝉の幼虫さながらそれぞれの姿で待機して地上に出ようとしている五人の面々である。中央の蝉が倒れたのだから、地下にいた五人がそれぞれ地表に姿を現すべく、動き出したのだろう。昔少年の頃、神社の境内に蝉の幼虫探しに地面の穴ボコを探し回り、見つけては小さな小枝を差しれては幼虫を誘導し、引きあげに成功しては喜んだものだが、その穴ボコに通ずる地下深くに進次郎、高市、茂木、林、小林の諸氏がそれぞれ正座した状態で特徴深く描かれている。


 40日前の一口マンガでは作中で木にしがみついているセミ(石破首相)を虫網を手にして捕えようとしている人(麻生氏、茂木氏)を描き、彼らの口を通して、「どのみち短命なのだから」と言わせていたのだから、随分石破氏は粘ったことになる。

 首相の辞意表明が日曜日にあったが、東京新聞の主張は、早速月曜日、50日間に及んだ辞意表明の遅さに、「遅きに失した『投了』」と政治空白をつくったことの非を唱えていた。さて、斎藤美奈子氏は何と書くだろうかと、水曜日の『本音のコラム』を注視した。果たせるかな、斎藤氏は『50日間の攻防』と題し、冒頭、「石破氏が退陣を表明した。残念である」と書いた(図書館で拝見した朝日の『天声人語』にも同趣旨のコメントが載っていたように記憶する)。何か救われた気持ちになった。余りにも旧態依然たる自民党の姿(石破おろし)には、正直言って辟易していたからである。石破氏がダメなら、他に誰が解党的出直しができると言うのか。

 ジージーとミンミンと蝉の声はこの夏最後の足掻きとも思える声で今日も鳴いていた。ジージーの「自由」と、ミンミンの「民主」。自由と民主を生かす新総裁が選ばれることを期待したい。もっとも斎藤氏は最後にこう書いた。「総裁選が始まれば、またウンザリの日々が戻ってくる。党内の権力争いと安倍時代を懐かしむ勢力の暗躍。政局好きのメディアのお祭り騒ぎ。予想されるのは政治に対する無気力だ。これでますます自民党離れは進むだろう。」

 創世記から始まる歴史叙述をずっと聖書にしたがって毎日読み続けて、第二列王記17章にまで至ったが、間(あい)も変わらぬ人の罪の姿を見せつけられて唖然とする。我が人生もご多聞にもれず、そうだと思う。主なる神様の前に嘘偽りは許されない。まして政治の世界には権力を求める浅ましい戦い、駆け引きが絶えない。こんな時だからこそ、次のイエス様の言葉は珠玉の言葉だと思う。

あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。(新約聖書 マルコの福音書10章42〜45節)

2025年9月7日日曜日

知る価値のあること


 私たちの人生には思わぬことが起こります。そのような時に私たちはどのような態度を取るのでしょうか。次にご紹介するのはA.ドーフラーさんの「知る価値のあること」と題する文章です。お読み下さいますように。(『重荷も軽く』28頁より引用)

 わたしたちの前に横たわっている将来のことは、わたしたちの視野からは隠されています。明日がどういう日か、明日になったら何が起こるか、わたしたちにはわかりません。しかし主は「神を愛する者たちには、万事が相働いて益となる」と約束なさいました。これは知っておく価値のあることです。

 万事と言うのですから、私を骨の髄まで驚かすような人生の大事についても、言っているのです。一見すると、こういう大事がわたしたちを押しつぶすのではないかと思われます。しかし、神が益となるようにしてくださることができないような恐ろしい不幸などはないのです。

 神は単に大事ばかりではなく、つまらない小事でも、わたしたちの益となるようにしてくださいます。人生には、つまらない事でいらいらしたり、悩まされたりすることが、よくあるものです。そういうつまらない小事が山ほど重なって、人生におけるせっかくの祝福がすべて奪い取られることも、しばしばあります。

 神が万事をわたしたちの益となるようにしてくださるというお約束を、真実と心得ておくならば、どんなことがあっても失望の底に突き落とされるようなことはなく、じっと耐えて主を待ち望むことができるでしょう。

 大事も、小事も、万事、現在だけを見るのでなく、永遠という見地から見れば、共に働いてわたしたちの益となるのです。神が万事を益となるようにしてくださる時、わたしたちの肉体的な平安と慰めをも考慮してくださっていますが、その上、特に私たちの魂の救いについて心にかけていてくださいます。ですから神は、時々、わたしたちが最もほしいと思うものを取り去られます。わたしたちが、神を愛する以上にそれらを愛し始めたことをごらんになるからです。わたしたちは自動車、パーティー、夜会、ゴルフ、商売その他のもののために神を忘れてしまうことがあります。そういう時に神は、わたしたちを窮地に追いやり、「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。」ということを悟るようにといましめるのです。

 試練を受けつつ、人生を歩んで行かなければならない時、神は神を愛する者たちと共にいて、万事が相働いて益となるようにしてくださいます。この神のお約束に固くすがりついてまいりましょう。そうすれば希望に満ち、確信にみちて、明るく暮らしてゆけるでしょう。

 祈り

 恵み深い父よ、わたしの助けはあなたの所からまいります。あなたが、わたしの手を取ってお導きくださらなければ、わたしは一日も安全に過ごすことはできません。わたしの足もとはぐらつき、わたしの視界はかすんでいます。あなたが義の道へ安全に導き、永遠の生命をお与えくださることを信じて、わたしはあなたに従って歩んでまいります。主よ、わたしには理解できないことがたくさんあります。しかし、あなたがわたしを愛してくださっていることだけは、よく存じております。なぜならば、神は、わたしが永遠に生きることができるよう、あなたのみ子イエス・キリストを、死に送られたことを知っているからです。わたしの心からすべての疑いを取り去ってください。またあなたのお約束が、常に真実であると信じることができる信仰をお与えください。主よ、あなたの道はわたしの道とは異なります。しかし、あなたの道はあなたを愛する者にとって、あわれみと恵みの道であることをわたしは知っています。

 主よ、わたしたちがいらだち、あなたにいろいろ不平を言う時がありましたら、いつもイエスのゆえにこれをゆるし、あなたのもとにもっと親しくお導きください。これらのことを、イエスのみ名によってお祈り申し上げます。                  
                            アーメン

神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにしてくださることを、わたしたちは知っている。(新約聖書 ローマ人への手紙8章28節 口語訳)

2025年9月5日金曜日

待ち遠しい、彼岸花

 今日は生憎の雨になった。いつも続けている古利根川の散歩もさすがに出来そうにない。それにしても、各地から連日流されてくる、線状降水帯の恐ろしさ・被害に身の縮む思いがする。神様のご計画はどこにあるのだろうかと、主を恐れる。

 今年は「暑さ」にしてやられ、朝顔やひまわりのような季節を彩る草花にも何となく縁が薄かった気がする。九月になり、いつも今頃は緑の中に一点注目を引く赤い花が見られるはずだが、まだお目にかかっていない。その赤い花の名前は言わずと知れた「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」であるが、より身近な俗名を久しく妻も私も思い出せないで散歩のたびに互いに困っていたが、二、三日前、私は夢の中で、妻は私との会話の中で「彼岸花」であることを突然ほぼ同時に認識した。

 短期記憶のできない妻との生活を通して、色んな不便を感じるが、人の体が頭脳をふくめていかに精巧に作られているかを思う。夢の中で「彼岸花」と認識するのも不思議だが、妻が突然会話の中でそれまで発することの出来なかった「彼岸花」という名称をごく自然に口の端にのぼせた不思議さである。妻の記憶領域にはたくさんのものが横たわっていて、その原野からある瞬間「ひがんばな」と言う一語が浮かび上がってきたと推測する。

 妻は二十数年前、まだ父母が健在のおり、せっせと絵葉書を作成しては、みことばを添えて出していた。その絵がチリも積もるも山となる形で随分たくさんの花の絵の集成となった。上掲の絵はそのうちの一枚で「彼岸花」を描いたものである。素人の絵であり、スキャンしたもので申し訳ないが、雨の中、一日も早い彼岸花にお目にかかれることを期待しつつ載せてみた。

人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、種のことばは、とこしえに変わることがない。あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。(新約聖書 1ペテロ1章24〜25、23節)