2011年5月16日月曜日

手甲(てっこう)をはめる友人

二年ぶりに車内で友と出会った。久しぶりの宇都宮線に乗車してのことであった。いつもは一人だが、今日は家内と一緒だった。家内が先にその人に気づいた。久喜から雀宮までほとんどその人の話を聞かせてもらう一方だった。それだけその人の話がありきたりの話でなく人間味に満ちた話だったから、家内も私も身を乗り出さざるを得なかったということだ。

その方は自然児というか、野山を自由に駆け巡るのが何よりもお好きなご仁である。先ずは出で立ちに驚かされる。身につけるものは、これ手作りである。手甲を両手にはめておられた。甲は力を発揮するが素手では駄目だということで、ご自分で皮を裁断してつくられたということであった。そうかと思うと腰の周りのベルトにはこれまたお手製のポーチ様のものをはめておられた。そこには携帯はじめ、小銭その他ご自分が使いやすいように寸法を決め裁断し、収納しやすいように作ったということだった。

全体、どのくらい作るのに時間がかかりましたか、とお聞きすると、まず準備に10日間ほど、作り出して二日だと言われた。準備の10日間の間のアイデア・発想が端から見ていると何とも楽しそうな期間のように聞いてしまったが、一事が万事、これと思ったら身の回りのものをご自身で作られるので夜中でもアイデアに気づくと目を覚まし書き留めるのだと言われた。そしてこうも言われた。

私は自然の移り変わりを肌で感じます。「早春賦」のようなものです。蕗がのこのこと地面に顔を出すとき、それを掘り起こして食べてみると、「苦い!」と感じます。しかし、これが地の中にいる虫や動物たちが味わい精力を得るのだ、春が来たのだ、その感覚を共有するのです。店頭に出されている栽培された蕗とは全然ちがいます、本当の味です、神様はそのように自然を造っておられるのですよ、と言われるのであった。

ちなみに、この方は私たちの間では「トム・ソーヤ」で名が通っている方だ。こうして二年ぶりに出会った友だが、ネットはからきし駄目だと言われる。私も唯一彼に恩返し(?)をした。それは二年前のブログの記事をiphoneで引き出して、彼に見せたことであった。そこに彼との二年前の会話がそのまま載せてあった。引っ張り出してきたブログ記事(http://livingwaterinchrist.cocolog-nifty.com/blog/2009/week10/index.htmlの2009.3.3の「帰って来た万年筆君」)をお見せし終わったら、いつの間にか私たちの目的地である、雀宮に着いていた。その方はさらに宇都宮まで行くということだった。

今頃はその手甲をつかって靴修理の仕事にいそしんでおられることだろう。束の間の車内での出会いではあったが、一服の清涼剤を飲んだような、さわやかさを経験させていただいた。

人はその口の実によって良いものに満ち足りる。人の手の働きはその人に報いを与える。(旧約聖書 箴言12:14)

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