老漁夫の詩 山村暮鳥 (大洗にて) |
中学校のころか、小学校のころだったか、新聞の社会面に、生まれ育った町の乱闘議会の様子が紙面を賑わせたことがある。その時、その「乱闘議会」の文字に大変恥ずかしい思いをした。事を決めるのに話し合いで終わらず、乱闘、腕力で事を決しようとした町の議員たちの姿が少年時代の自分にとっては、新聞を通して全国に知れ渡ったことを恥ずる思いがあったからである。それは今から60年前の1950年代のことである。
今日大臣の失言や、審議不十分の共謀罪法案の行く末など、少年少女を取り囲む政治の状況は彼らにとってどのように映っているのであろうか。大変気がかりである。いや政治の行く末そのものに大変危惧を覚える。
ところで、この乱闘議会は町村合併に賛成か反対かをめぐる対立がもたらしたものである。爾来、私たちの町は、市に編入されて誇りある町名を町民が名乗る機会が減ってきたのでないか。こんなことを書く気になったのも、田原総一朗氏の以下の文章に触発されたからである。同氏は『井伊家の教え』(2016年11月刊行)の冒頭で次のように書いている。
私は「彦根」生まれである。決して、「滋賀県」生まれとは言わない。あくまで、彦根なのである。この意識は、滋賀県内でも、彦根人だけが持っている熱烈ある郷土愛の証しだ。
何を隠そう。私の生まれ育った町が町村合併の結果編入されたのはこの彦根市だった。私は「高宮」生まれである。ために高校以来今日まで町は彦根市になり、まして高校も大学も彦根で過ごしたので、出身地はどこですかと問われると、一瞬心の中ではためらいながらも、説明が面倒くさいのと知名度が高いので「彦根」出身と答えている。しかし内心では「高宮」生まれだと自負している。
だから、田原氏が「彦根」生まれだと胸を張られるのは理解できるが、どっこいこのような「彦根人」もいることを田原氏に知って欲しいと思う。しかし、このような郷土意識は人類につきまとう一つの大切な意識かもしれない。聖書に次のような話が出て来る。
彼はナタナエルを見つけて言った。「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」ピリポは言った。「来て、そして、見なさい。」イエスはナタナエルが自分のほうに来るのを見て、彼について言われた。「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない。」(ヨハネの福音書1:45〜47)
ナザレについて大変な偏見を持っていたナタナエルが、「ナザレの人でまことの救い主イエスに会った」と喜んで伝えた友人ピリポの言を一度は拒みながら、二度目は「来て、そして、見なさい」ということばにしたがってイエスのところに近づく場面である。その時、イエスはこの真っ正直な男を賞賛された。
偏見は人間につきものである。しかし彼は心底神を求めていた。その思いは神の子イエスに通じていたのでないか。そのような偏見の対象たる町ナザレに神の子は住まれたのである。「偏見」、「誇り」、「過誤」一切を見そなはして、なおご自身がもっとも低きところにあってそこから絶望している者に絶えず声をかけて下さる主イエスに感謝する。