2020年6月3日水曜日

老ヨハネの独語(上)

ドイツ・フィリンゲンの教会の扉

時 彼の臨終直前
所 エペソ
教会の人々に取りまかれて

私は老いて行く
主イエスの懐に幾度かよりかかったこの頭は
ーーああそれは遠い遠い昔の夢であるーー
今は白く霜をいただき
年の重みで曲がってきた
幾度かガリラヤからユダヤへと
主のおともして、私を運んだこの足は
十字架のもとに立った時に
主の呻(うめ)きとともに震えたが
今は子供らに道を語るべく街に出る力さえ持たぬ
私のくちびるさえも
私のハートから流れ出るものを
言語に綴るのを拒む
耳は遠くなった
病床のそばに集まった愛する子供らの
すすり泣きさえも聞こえない
神は御手を私の上に置き給うのだ
ーー然り、御手である、笞ではないーー
三年の間
幾度か私の手に触れた
女の愛よりも暖かい
あのやさしい友情の御手である

私は老いてしまった
親しい友の顔さえも思い出せぬほどに
老いてしまった
日々の生活を織り成しゆく
慣れた言葉や動作さえも忘れてしまう
しかしただ一つのなつかしい顔が
語り給うた御言葉の一つ一つが
他のすべてが褪(あ)せて行くにつれて
いよいよ鮮やかに浮かんでくる
生きている人々よりも
世を去り給いし彼とともに
私は暮らしているのだ

七十年ばかり前であった
あの聖き湖水で私は漁夫をしていた
ある夕暮れのこと
波は静かに岸辺を洗い
夕陽は遠き山の端に退き
柔らかい紫色の影は露野を包みつつあった
その時あの方が来た
私を呼んだ、私を
あの麗しいおん顔を私は始めて見たのである
あの眼
ーー神々しい天の光が
窓から覗くように
私のたましいの奥にさしこんだーー
あの光は永遠にそこにともっている
それから、あの方の御言葉だ
私の心の寂寞を破って
宇宙を音楽にした
受肉せる愛が
私をとらえ
私は彼のものとなった
黄昏(たそがれ)の光のうちに
彼の袖に縋(すが)りつつ歩んでいた

(この詩はある外国雑誌に無名氏の作として載せられていたものを、青木澄十郎氏が訳され、昭和13年に『ヨハネ黙示録講解』を出版された際に付録としてあらわされたものです)

0 件のコメント:

コメントを投稿