2013年8月28日水曜日

いかにして主イエスとの深い交わりに至るか(承)

江戸東京たてもの園 小金井市
私たちはどうしたらイエス様との親しい交わりに近づくことができるなのでしょうか。すなわちイエス様の啓示により、イエス様のことばにより、主をよりよく知ることができ、主との親しい交わりに入ることができるのです。前に読んでもらいましたマルコ伝6章49節、50節をもう一回読みます。

しかし、弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、叫び声をあげた。というのは、みなイエスを見ておびえてしまったからである。しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。

このことばをイエス様はわれわれにも言っておられます。イエス様はご自身のことばによってご自身を私たちにあらわそうとしています。私たちはたとえ主の導きがわからないにせよ、人または環境のせいにしてはいけません。イエス様は危険の中に見捨てはしないのです。イエス様は私たちとの深い交わりを持ちたいので、われわれを生活の困難の最中において、またご自身のみことばの中でご自身をあらわして(くださるのです)。イエス様はすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。 「わたしである」というイエス様のみことばを聞くべきです。

イエス様は弟子たちにご自身をあらわしたのです。それまでと全然違ったかたちでご自身をあらわしました。ですから、弟子たちはたいへんびっくりし、恐れのあまり叫んだのです。け(れ)ども、それはイエス様の啓示でした。け(れ)ども、弟子たちとはそれを幽霊と思ったのです。私たちもしばしば弟子たちと同じではないでしょうか。イエス様は当時と同じように、われわれに呼びかけておられます。「わたしだ」、「わたしである」。

わたしの子よ、あなたはあなたを苦しめるもの、またわたしを苦しめることを考えたことがあるのか。

わたしの子よ、もしあなたが周囲にたくさん試みを持っているならば、それはわたしから来た、ということを知ってください。あなたの弱さはわたしの強さを必要としている。

わたしの子よ、あなたは困難と難しい環境の中にいますか。それはわたしから来たのだ。わたしは環境の主です。あなたの環境やまわりの人々は彼らのやりたいことをすることはできません。彼らはわたしの心を行なわなければならない。

わたしの子よ、あなたは金銭的な苦しみのうちにありますか。それを切り抜けるのはむつかしいのでしょうか。それもわたしから来たということを知りなさい。わたしはあなたのお金に責任を持っている。ただわたしは、あなたがわたしの方へ来ることを、わたしに頼ることを願っています。わたしの約束が真理であることをあなたに証明したいのです。

わたしの子よ、あなたは生活の夜を行きますか。それはわたしから出たのです。わたしは苦しみの人、また悲しみの人として困難を知っている。あなたがわたしの方へ来るようになるために、わたしがそれをそうさせたのです。

わたしの子よ、あなたは自分の友に失望しましたか。それはわたしから来たのです。わたしがあなたの最良の友であることを知るためにあなたは友に失望したのです。あなたの計画はくつがえりましたか。あなたは悲観し、疲れましたか。それもわたしから来たのです。あなたは自分で計画し、そのあとで祝福してくださいと祈った。しかしわたしは自分で計画したい。そうすれば、わたしはその責任を取ります。

わたしの子よ、あなたはわたしのために働きたいと願った。しかしあなたは今病気だ。それもわたしから出たのです。あなたが忙しかった時、わたしはあなたに話すことができなかった。しかし、わたしはわたしの秘密を語りたい。あなたはわたしのそばにいる祈る人となりなさい。

わたしの子よ、多分あなたはむつかしい使命を負わされたかも知れない。それもわたしから来たのです。あなたはわたしに頼ってください。

わたしの子よ、わたしの声を聞きますか。「わたしである。それはわたしから来たのです。しっかりするのだ。わたしだ。恐れることはない。」

どうしても覚えるべきなのはそれなんです。すなわち、すべてのうしろにある主イエス様を見てください。それはあなたの環境、まわりの人、あなたの苦しみではありません。主は「あなたにしっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言っておられます。

私たちは、どうしたらイエス様との深い交わりに至ることができるなのでしょうか。生活の困難の最中における主イエス様の啓示によって主との親しい交わりに近づくことができるのです。主イエス様はご自身を明らかにされました。砂嵐と苦しみの理解しがたい導きのなかにおいて。け(れ)ど、弟子たちはイエス様を認めず、幽霊だと言って叫び声を上げました。今直面している問題はわれわれの問題ではありません。うしろには主イエス様が立っておられます。それを信じましょう。

イエス様はご自身を弟子たちにことばによって明らかにされたのです。弟子たちはイエス様の声を聞いた時に幽霊だと思っていたのが、イエス様であることを知りました。暗いうちにあってもまた悩みの中にあってもそれを認めますか。すなわちそれはイエス様なんです、と。弟子たちはイエス様の「しっかりしなさい、わたしだ、恐れることはない」と御声を聞きました。それは聞き慣れた声でした。「わたしたちの主人だ!」と弟子たちは安堵のため息をつきました。どうしたら、われわれの救い主であるイエス様とその親しい交わり、結びつきに至るのでしょうか。今話したようにイエス様の啓示によってです。

二番目の答えはイエス様の啓示に対するわれわれのこたえによってです。

しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。するとペテロが答えて言った。主よ、もしあなたでしたら、私に水の上を歩いてここまで来いとお命じになってください。

イエス様はこのことばを弟子たち、皆に言われたのです。イエス様は「彼らに話しかけた」とあります。イエス様は弟子たち皆にご自身をあらわしました。すなわちイエス様はペテロにだけ「しっかりしなさいよ、ペテロ。わたしだよ、ペテロ。ペテロ、恐れることはない」と言ったのではありません。け(れ)どもイエス様は、すぐに彼ら、結局弟子たち皆に話しかけ、「しっかりしなさい、わたしだよ、恐れることはない」と言われました。け(れ)どもただ一人がイエス様の啓示に対して答えたのですね。

するとペテロが答えて言った。主よ、もしあなたでしたら、わたしに水の上を歩いてここまで来いとお命じになってください。

イエス様のご自身のあらわしに対して答えたのはペテロだけでした。

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