2014年10月23日木曜日

「静寂」 藤本正高

ドイツ・フィリンゲンの教会の門扉(2010.10)
おお主よ、
願わくは私自身にも貴紳にも
見知らぬ人と私をなし給う勿れ、
私の最高の愛を等閑(なおざり)にする、
幾多の思想の中に私はあれば。

肉と感覚の世界より私を呼び出し給え、
いと高き御言葉は私をそれらの世界より引き離し得、
私は聖なる御声に従いて、
凡ての劣れるものより逃れん。

地を凡ての感覚と共に退かしめよ、
喧噪と虚構を去らしめよ、
心の秘かなる静寂の中にある、
私の天国、
私はそこに神を見出す。

 上は二百余年前、カール・ハインリッヒ・ポカッキーの歌える言葉であるが、又現代の我らの祈りでもある。騒然たる世にありて、我らはこの静寂を求めて已まない。
 真の静寂は深山の奥にない。幽谷の中にない。神を信ずる者の心の中にある。
 キリストは、漁夫達さえも恐れ戦く嵐の中で、静かに眠り給うた。父なる神に対する全き信頼の故に。
 全世界は嘗てなき嵐の中にある。地は揺ぎ 、天空は暗い。嵐に吹き廻されて右往左往する人々の絶望的な叫びは四方より聞こえる。救いは何処より来るや。光明は何処にありや。
 救いは天地を創造し給える神より来る。光明は神を信ずる者の静寂なる心に臨む。不安なる世に平安を有(も)ち、嵐の中に静寂を保持し得る者は幸いである。

(上掲は昭和15(1940)年 9月の『聖約』雑誌30号に載せられた主幹藤本正高氏の文章である。当時三井物産ロンドン支店から上海支店に転勤していた小林儀八郎さんはこの冊子をふくむ三号(29号から31号)を日本にいる婚約者に頼んで日本の職場でかつて一緒だった同僚に送ってもらおうとした。ロンドン支店におられた時、第二次世界大戦はすでに始まり、その喧噪と不安に満ちた世界の現出を前に書かれた彼のロンドン便りはいずれかの冊子に掲載された(と思う)。それを読んでもらおうとされたのだ。残念ながら今では散逸してしまっていてその文章を読むことができない。しかしその雑誌の香りを知るにふさわしい一文が藤本正高著作集第5巻の272頁に掲載されていたので転載させていただいた。儀八郎さんはこのようにして仕事の激務の合間にも福音を友に伝えようとしておられたのだ。イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。マタイ8・23〜24

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