2015年2月26日木曜日

一冊の本(1)


 先頃一冊の本が上梓された。一人のご婦人の手になる自費出版の御本である。このブログでも何度かご紹介して来た小林儀八郎さんの書簡が一挙に公開される運びになった。7、8年前にお手紙を見せていただいた時は、無造作にひとまとめにされていたようにも記憶する。一枚一枚は達筆には違いないが、癖もあり、私たちが現在使わない言葉もあり、いっぺん読んだだけでは判読が困難なものもあった。しかし、お手紙を拝見するうちにこれは大変な信仰の証ではないかと思った。

 お見せくださったきっかけが何だったかはすっかり忘れてしまったが、私は思わず、この手紙の活字化を提案していた。お見せくださったご婦人は儀八郎さんのお嬢さんであった。その時は、長年闘病しておられたお母様を天に送られ、心なしかホッとされており、まだご主人もお元気でまさかその後難病を患われ召されるとまでは思いも至らない時であったように記憶する。しかし、その方は50数通余りの手紙を一枚一枚コピーしては私のところにせっせと郵送してくださった。大変なコピーの量であった。私ももはや後には引けなくなった。でもお互いにのんびりやりましょうと言い合っていた。

 手紙は召されたお母様が長年秘かに子どもにも所在を明らかにせず、封印しておられたものである。それだけ戦後のお母様の生活は儀八郎さんを戦争で亡くし、女手一つで生活を切り開いて行かなければならなかった生活の厳しさ・苦しさが忍ばれた。本にされて書簡を改めて読む時、どうしてこんな言葉を封印されたかと不思議に思うが、一時は信仰も捨てるほどに戦後の生活は悲惨を極めたのでないかと想像する。それだけにこのような形で私たちが自由に読めるようになったところに、やはり全能の主の御手、またひとえに主イエス様に祈りを積み重ねて来られた儀八郎さんの信仰の賜物とさえ思えてならない。

 雑文風に、少し書き連ねたいと思う。

神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。(ピリピ2・13)

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