2019年3月14日木曜日

1969年3月12日(2)


子どもを懲らすことを差し控えてはならない。むちで打っても、彼は死ぬことはない。あなたがむちで彼を打つなら、彼のいのちをよみから救うことができる。(箴言23・13〜14)

 一昨日、五、六人の集まりで、50年前のこの日の季節外れの雪の話をしていたら、その日は東京でも雪が降り、積もったようで、それぞれの方はその日のことを期せずして思い出すことができた。一人の方は坂を利用してスキーをしたと言われるし、別の方は三田の大学に出かけるのに苦労したと言われた。それぞれ、浪人生であったり、大学生であったりして、当方はすでに26歳で社会人であったのだから、思いがけず、その頃の各人の生活の有り様と今の有り様が比較できて面白かった。

 ただこの日が私にとって人生の一大転機となったと言うには、わけがある。日記が示すとおり、その前夜私は眠るに眠れなかった。それは精神が著しく高揚していたからである。当時、私は結婚を決めており、年初に結婚相手の先方の両親に挨拶に伺い、双方の合意があり順調に進んでいた。ところがこの頃双方の両親の反対が表面化して、婚約者から結婚を断念するという便りが届いたのだ。両親の反対の理由はひとえに婚約者がクリスチャンであるからと言う理由であった。

 当時、私自身はイエス・キリストを知らず、もちろん信じてもいなかった。ただヨーロッパ思想としてのキリスト教には関心がないわけではなかった。だから自らは信仰を持たないが、親が個人の信仰を云々して結婚話を白紙に戻そうとしていることには全く合点がいかなかった。その上、私の両親が結婚するとき、親族が反対して難航したことを聞かされていたので余計その思いは強かった。(両親の場合は戦争未亡人のところに父が養子に入るとは、たとえ二人が熱烈に愛し合っていても、それはもっての他であるということだった。)だから、私は何としてもこの二代続きの結婚話否定の動きは自分の力で阻止しなければならないという思いと、婚約者の断念を何としても覆すためにも、自分はすべての人の思いを調停せねばならない、またそれは自分しかできないという思いで、一人その精神は高みに達していた。

 その私の自己中心の思い(神様抜きの考え)を神様は見透かすかのように、数時間後には、夜半から降り続いた突然の雪で全面真っ白な銀世界へと変えられてしまった山道を自転車で登り急ぐ私を、上から降りてきたマイクロバスを使って地面に強く叩きつけられたのだ。それは神様による自己を神としてやまない私に対する大鉄槌であった。そもそも、婚約者自身が最も強く願っていたのは私自身がイエス・キリストを信じるというものであった。その願いは、文通でしか互いの思いをあらわしえない(遠距離交際ゆえ)中で、婚約者が始終明らかにしていたが、こちらは高を括っていたのも同然であったからだ。

 そのような私が自らの人生を総点検し、主イエス・キリストの神に立ち帰るきっかけになったのは、まさにこの50年前の3月12日の一瞬のうちに経験させられた交通事故が始まりであった。しかし、その意味が本当に自覚できたのは、この後、春を過ぎ、夏を過ぎ、9ヶ月余り過ぎた冬であった。当時は何と自分は運のいい男だ、こんな大変な目にあっても、何とかすり傷一つ負ってはいないではないかというこれまた大変な思い上がり、自己過信であった。 

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