これは、何と読めばいいのでしょうか(※)。9月16日(月)、彦根の叔母の十七回忌に出席したおり、玄関の上がり端に飾られていた額です。叔母は、晩年、このような書をたくさん書いていました。一度、「遊」というたった一文字を大きな和紙に大書した作品を見たことがあります。それは、子どもたちが、楽しげに遊ぶ姿を彷彿させる字で、見ていて楽しくなり、その大胆な構成に驚いたことがあります。
私としては叔母が病を得て亡くなるまでの3年ほどの間に、4、5回はお見舞いできたし、その間に貴重なお交わりを得たことに満足を覚えていましたが、法事の席で、「お父さんが出征し、間もなく戦死の報が来て、家では子どもがいないので養子の話さえあったところ、お腹に赤ちゃんを授かっており、事なきを得た」旨の話がありました。いとこは何不自由もなく育ったように思っていたが、やはり、その成長にあたっては戦争の影が人知れずあったのだと思わされました。
そのような叔母自身は夫のいない戦後の生活の中で心の拠り所を求めて、お城のお堀端にあった近くのカトリック教会に通い、「公教要理」も学んだと言っていました。近くには日本基督教団の教会もあり、またそれ以上に多くのお寺が近くにあり、仏都ですので信仰を持つには至らなかったようです。ただ、習字に端を発する様々な文化活動にも参加して、一人息子が京都伏見で世帯を持っても、病を得るまでは、一人で彦根の家を切り盛りして守っていました。彦根にいる時は、帰省のたびに叔母を訪ねるのが習慣であり、私にとってはホッとする寛ぎの時でもありました。それだけに病を得て京都伏見に身を寄せ、当地の病院にお世話になっていると聞いた時は、いったんはお見舞いは無理だと思ったものです。
しかし、不思議なことに、当時私はキリスト集会のメッセージの当番で関西方面に参ることが多くあり、その帰り道を利用して、何としででも叔母に「福音」を伝えたいとの思いに導かれ、芦屋の方々にも祈っていただき、ある時は京都在住の方と一緒にお見舞いに行ったこともありました。最後にお見舞いした時はいとこに案内されて病室に入りましたが、祈りのうちに対面させていただいて、静かに辞去したことを覚えています。それから間もなく亡くなったことを知りました。
法事はお坊さんの三十分ほどの読経、講話が中心でした。曽孫さんである若者6人をふくむ20人の参列者でしたが、お坊さんが講話で、その若者を念頭においてでしょうが「今はわからないと思うが、大きくなったら、今日の法事の意味がわかると思います。ご先祖さんを大切にしてください。」と言って話を閉じられました。残念ながら、こちらはお経の意味がわからない、何がわかるようになるのか、それは「先祖崇拝」ということだと思うが、それで私たちの心の平安が得られるのだろうかと思いながらお聞きしていました。
先祖と言えば、私たちの先祖は一体誰なのでしょうか。帰ってきてから、家内と毎日輪読している聖書の個所はとうとう旧約聖書の1歴代誌1章に入りました。実際にお開きになるとお分かり願えると思いますが、それこそお坊さんの読経も顔負けするほどの人名の羅列です。いったいこれにどんな意味があるのだろうかと思いました。ちなみに、その冒頭は「アダム、セツ、エノシュ」です。辟易する私たちに、F,B.マイヤーは次のように語っていました。ご参考のために全文を転記させていただきます(『きょうの力』234頁より)。
歴代誌のへき頭は、えんえんと続く名まえの羅列です。さながら大昔の墓場を見るここちです。かつて、生まれては死に、愛しては傷つき、叫んでは戦った人々も、この堅い墓石には、ただ冷然と、その名まえが刻まれるだけなのです。
けれども、これらの人々の存在は無意味ではありませんでした。これらの人々は、みなひとりびとり、民族の進展の重要な一コマ一コマであったのです。父たり、子たりして、いのちのともしびを継承していったのです。山の頂も広い裾野あればこそなのです。
しかも、実はこのひとりびとりが神の愛の対象であったのです。この点のようなひとりびとりが、みな主の贖いの目標であったのです。と同時に、また、どの人もみな終わりの日の神の審判の前に立つのです。
「アダム、セツ、エノシュ」と読んで、すべての人が、みなひとりのアダムから生まれ出たものであることを、いまさらながら確認させられるとともに、その第一のアダムから出たあなたが、第二のアダムである主イエスに接木された者であるという神聖な喜びにあふれるように。
※その後、額の字は何と読むのかという私の問いに対して、いとこから、メールで、「『年豊人楽』であり、読み方は私もいい加減ですが『年豊かにして人楽しむ』ではないでしょうか。母の願いだったのでしょうね。」と返事が来ました。叔母は1921年に生まれ、2008年に亡くなり88歳の天寿を全うすることができました。新婚早々夫を戦争で亡くし、以後姑に仕え、一人息子を立派に育て上げ、書などを通してたくさんの知己を得られたのでないでしょうか。福音は戦後すぐに叔母に届きました。そして、最晩年には甥である私を通して福音をお聞きになられました。いとこの小学校の担任の娘が、後に私の妻となるにあたって、「福音」は私に届き、その「福音」を私はいとこや叔母に伝えるように変えられたのです。
改めて、叔母の残した「年豊かにして人楽しむ」の言わんとすることを、私なりに考えてみました。「年豊か」とは素晴らしいことです。ですが、「人楽しむ」とは、中々難しいことです。それは主なる神様が与えてくださるものではないでしょうか。その証拠が私たち人間の罪と死からの救い主である神の子であるイエス様です。だから、真の楽しみを与えてくださるお方は、唯一主イエス様です。贖い主イエス様です。この方以外にありません。そのことを下の二つのみことばは示しているのではないでしょうか。叔母の88年の生涯の歩みもその上にあったと私は確信しています。
あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。(旧約聖書 出エジプト20章12節)
すべての人は、・・・神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。(新約聖書 ローマ3章23〜24節)
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