2025年12月7日日曜日

2025年の「東京36会」(上)

オペラ座(パリ) 2006年11月22日(※1)
  昨日は一年ぶりに、原則として毎年12月の第一土曜日に開催される高校の同期会に出席できた。いったい何人の人が集まるのかわからなかった。年々少なくなっているのだが、前回は21名だった(※2)。その折り、すでに来年は来れないと言う方もおられたので、少ない人数であることは覚悟していた。

 会場は新橋の第一ホテル東京のレストランであった。11時半開始と案内にはあった。二、三日前から落ち着かず、何を着て行くか?から始まって、どのようにして行けば良いのか、昨年の経験は忘却の彼方にあり、面倒だと思い始めた。いっそのこと、電話で出席をキャンセルしようかと弱気になり始めていた。それでもお会いしたい方もおられるしと、気を取り直した。

 電車時刻を調べてみると、私の最寄駅を10:07分に出れば、新橋へは何と11:07分につけることがわかった。ジャスト一時間で行けるとは覚えやすい時刻であった。前日の金曜日になり、「お前は何のために行くのか?」という内なる促しの声が聞こえてきた。もちろん、グッドニュース(福音)を届けたいという思いが強くあっての同期会出席である。神道の言葉を借りて言えば、そのことは、天地神明に誓ってそう言える。問題はそのために何ができるか、というのが大きな課題であった。

 ごく平凡に考えれば、福音に関する小冊子を持参して関心のある方にお渡しできれば、それで良しというのがこれまでのスタイルであった。ところが39回に及ぶ(伝統ある?)同期会にはこれまで5、6回しか出席していない。同期会の常連の出席者からすれば、極めてマイナーな部類に属し、私自身まだまだ良く存じ上げていない間柄の方が多い。

 そうした中で、このブログ(※3)でも書いたことのある、同姓同名の方の奥様から主人が4月に亡くなりました、という喪中のお葉書をいただいた。同君とは高校時代には全然面識がなく、少ない同期会の出席の中で、初めてお会いした間柄であったが、幹事を11年前の2014年に一緒にやらせていただいた。もちろん当時彼にグッドニュースを届けたつもりだ。しかしその後、互いに安否を問おうとはしていなかった。その彼が亡くなったのだ。自分が友の救いのためにどれだけ真剣であったか問われる思いだった。

 考えてみれば、10月には三男の舅さんが75歳で亡くなった。この折もほぞをかむ思いだった。イエス様の救い(罪・咎の死からの救い)を知ってその恵みの中にいるお前は何をしているのか、お前の肉声で「わたし(主イエス・キリスト)の救い」を語れないのか、という内なる思いが前日の金曜日に湧き上がってきた。そしてこのブログの存在に思い至った。

 何しろこのブログにはこの16年間の間に総数で1960件の投稿をしている。すべて書き殴りに等しく振り返っていない文章ばかりだが、
泉あるところ
とはどんなところかを案内しているのがこのブログの特徴である。そして思い立った。このブログから選んで同期生の方に読んでもらえないだろうかという気づきである。そうして36頁の作品に仕立て上げて、「東京36会」に臨んだ。

※1 今となっては懐かしいパリ・オペラ座の光景である。昨日第一ホテルの吹き抜けの間では、結婚式が行われようとしており、2階からその様子を、写真にも撮ったが、プライバシーの観点からブログに載せるわけにもいかず、遠い昔2006年のこの写真を思い出し、載せた。

※2 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2024/11/blog-post_30.html

※3 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2010/11/blog-post_16.html

いのちの泉はあなた(主イエス・キリスト)にあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。(旧約聖書 詩篇36篇9節)

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