2025年12月8日月曜日

2025年の「東京36会」(中)

オランジェリー美術館を前にして 2006.11.24
 果たせるかな、小冊子をとおして私は福音を届けることができるのであろうかと不安があった。けれども、私にとっては出発間際まで時間ギリギリいっぱい掛けて仕上げた作品であった。どなたにお渡しができるか、当てがあるわけではないが、取り敢えず五部だけ持参した。

 会場に着いたのは開始時刻の11時半少し前だった。ホテルに私が入るとほぼ同時に、駆け込むようにして入って来られた方がいた。田舎者の私にとってホッとした瞬間であった。と同時に彼女が近江八幡から来たことに思い至った。聞いてみると近江八幡を8時に出たということであった。彼女は何かと世話をしてくれている「東京36会」の常連である。

 高校時代、一度も一緒のクラスになったことはなかったが、数少ない女生徒として、通学途中に見かけることのできたスタイルの良い颯爽とした姿はいつも眩(まぶ)しい存在であった(※1)。会場入り口にはすでに幹事のお二人が案内がてら会費の徴収をしてくださっていた。結局、当日の参加者は16名(男性14名、女性2名)であった。

 いつもの立食スタイルとちがい、フランス料理のフルコースであり、私にとっては落ち着いて互いに歓談する絶好の機会となった。私の前には、一年、三年と同じクラスであり、名前が同じ「浩」君が座り、じっくりと話ができた。名前の由来を尋ねると、「浩然の気を養う」からだと言う。まったく我が両親が名づけた理由と同じだった。会社経営をなさっている浩君は高校時代そのままで若さいっぱいの好青年の趣を今になっても残している嬉しい存在である。彼が「趣味は何か」と問うので、「聖書、神のことばを毎日食べている、そればっかり」と申し上げた。全員の挨拶の中で、彼は何と「向上心を持ち続けたい」と言った。彼がいつまでも健康であれと願わずにはいられなかった。

 一方、私の右横の席に着かれた方からはズバリ「君はキリスト教徒と聞いているが、何派なのか」と直裁に聞いて来られた。私は、何派も、クソもない、イエス・キリストがすべてで信仰者にとってはそういうことは問題ではないと言おうとしたが、中々うまく説明はできなかった。ただ小冊子として作成した「キリスト教とその疑問」(※2)という表題の作品はその方の質問に答えるのにはうってつけだと思ったので、ああ、主なる神様はこのようにして、私の「東京36会」への出席を導いてくださっているのだと思わざるを得なかった。その方とはさらに共通の知人との話で盛り上がった(※3)。

 終わり頃になって、左横に座っている方が、一年の時、同じクラスであったことを朧(おぼろ)げながら思い出した。高校一年の時にも話したことはなかったが、66年目にしてお互いに話を交わすことができた。そのことだけでも齢80歳をとうに越えてしまった今、もっともっと命を大切にしなければならないと思わされた。

※1 彼女については一度、本ブログで書いたことがあることを思い出した。
https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2015/12/blog-post_6.html

※2 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2015/05/blog-post_28.html

※3 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2020/05/blog-post_5.html 
この文章中に出てくる吉田精一さんのご子息が、私たちが存じ上げている共通の知人であった。もっともご子息とは言っても私どもより一回り上の先人で、人生の先輩にあたる方である。

私たちの齢は70年、健やかであっても80年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。それゆえ、私たちに、自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。(旧約聖書 詩篇90篇10、12節)

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