2013年7月22日月曜日

主はすばらしい(上)

小金井付近を流れる野川、なぜかここからは水が見えない
(先週火曜日、一人のご婦人のお証をお聞きし大変感銘を受けましたので、ご本人の了解も得て聞き書きをさせていただきましたが、以下、引用者の手で少し文章を変えて編集させていただきました。ご了承ください。 )

主の御名を賛美いたします。イエス様のしてくださったひとつひとつの「恵み」を思い起こすときをいただき、感謝いたします。

あわれみゆたかな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過のなかに死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、あなたがたが救われたのはただ恵みによるのです(エペソ2・4〜5)

イエス様に出会う前は恵まれない子だとばかり思っていました。けれども私の生まれた日の2月27日の(「日々の光」に書かれていた)みことばは「恵み」、「恵み」と「恵み」のみことばであふれています。イエス様がはじめて「恵み」の子だよと言ってくださったようで、とてもうれしい日となりました。今は毎日が「恵み」の日です。

私は東京世田谷で生まれ、今は田無に住んでいます。結婚して三人の子育てに追われながらも何不自由なく楽しく充実した日々を過ごしていました。そんなとき四人目の子どもが授かり子どもたちはとても喜んでくれて男の子でも女の子でもいいようにと「ゆい」と名前をつけてくれました。一ヵ月後夫の職場の移転で松戸に移り、少し落ち着いた時、突然破水し私の手のひらの上には小さな、小さな、ほんとうに小さなわが子がおりました。「ごめんね」「ごめんね」「お母さんはあなたのことは守ってあげることはできなかった、ほんとうにごめんね」と謝ることしかできませんでした。「私のこと忘れないでね」と言っているようでした。あの子はどこへいってしまったのだろう。あの子は私たちに何を伝えたかったのだろう。そればかりズッと考えていました。

私たち夫婦は信仰と言う土台のないところに家を建てて暮らしていました。フッと風が吹いただけで簡単に家は崩れ、瓦礫の中で苦しい、苦しい、誰か助けて欲しいともがいていました。聖書の中にからしだねほどの信仰があったらとあります。私たちはその十分の一、百分の一の信仰もありませんでした。私は勝手に家を壊し、かたくなに心を閉ざし人を赦すことができず、家族のことなど考えもせず愛もやさしさも全くない自分勝手で何とか逃げたい、自分のことばかり考える者でした。父が一人になり、二人の娘の進学を期に、田無で同居することにしました。夫や子どもたちを深く、深く傷つけました。そのことの謝罪もまだできていないことを今思わされています。

次女が中学三年になった日に転入生が入って来ました。彼はとてもやさしくふたりは気が合うようでした。高校に入った八月、彼から軽井沢にキャンプに行きませんか、お母さんも一緒に来てくださいとお誘いを受けました。どこへでも行きたいという心境でしたから喜んで行きました。着いたところはなぜか御代田の食堂でした。こんなたくさんの人とキャンプするのかなと(思いました)。泊めていただいたお宅ではみんながとても暖かく迎えてくださり、何年ぶりだろう、こんなに笑ったのは。とても楽しく過ごさせていただきました。そのとき心に残ったことばは、宗教は人を救えないでしょう、宗教ではない、クリスチャンの方がいらっしゃることを知りました。ぼくのこどもは三人は今天国だよ。「天国だよ。」とはっきり言われたこと(でした)。自分の子どもはどこにいるのだろうと思いながら帰って来ました。

そのあと中高生会に誘われお証があり、クリスチャンホームで育ち聖書を読みおつき合いをしてはいけないことを知ってはいるけれども、どうしてもつき合いたくてつき合ったけど両親に従い、みことばに従い、やめましたという内容でした。どんな気持ちで聞いていらっしゃるのだろう。ふたりのことはどう思われているのですか、と聞くと、とにかく祈ろうとあの日から今日までずっと祈って来ました。ずっと祈って来ました(と言われました)。

なんとも言えない暖かいやさしさが心に染み込むようでした。イエス様を信じているご家族の姿を知りました。イエス様のやさしさとご愛をいただいて帰りました。

それから礼拝に行くようになり、家庭集会にも行くようになりました。隣に座られたご婦人から、どうして来られたのですかと聞かれ、今までのことを話し、子どもがどこにいるのかわからない、あの子が伝えたかった答えがまだ見つからないと言うと、「子どもはみんな天国ですよ」と言ってくださり、「みんなって、私の子どももですか」そのご婦人はやさしくうなづいてくださいました。私もイエス様を信じて会えるなら会いたい、あの子が伝えたかったことは、イエス様でした。

次の日、礼拝に行くとそのご婦人が外で待っていてくださり、私の手にみことばのカードをくださいました。

女が自分の乳飲み子を忘れようか。
自分の胎の子をあわれまないだろうか。
たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを
忘れない。
見よ。わたしは
手のひらに
あなたを刻んだ。」(イザヤ49・15)

あの日、私の手のひらに、わが子の代わりにこのみことばが刻まれています。

救われた喜びで満たされ久しぶりで家族と過ごす時があり、笑いながら話している自分が不思議でした。(笑いながら)話している、夫と話している私を見て、娘はイエス様はすごいと思ったようです。イエス様と出会ったときでした。その時から娘は礼拝に行く者へと変えられました。主が、みことばを送って、これらを溶かし、ご自分の風を吹かせると、水は流れる(詩篇147・18)。あの日から10年と言う月日が流れていました。

「日々の光」をいただき、はじめての4月19日、この日はゆいの召天した日です。

そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら私はわざわいにあいます。あなたの家、あなたの家族のところに帰り、主があなたにどんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったか、知らせなさい。

イエス様を伝えてくれてありがとう。みことばをありがとう。主がしてくださったことをお伝えして行かなければと救われたことを感謝しました。(明日に続く)

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