2014年9月11日木曜日

昭和天皇実録

花魁草 (御代田Sさんの別荘 2014.8.9)
『昭和天皇実録』が9月9日付けで公表された。私は東京新聞の購読者で、その見出しは「開戦回避できず苦悩」と連日の東京新聞の姿勢〈集団的自衛権に異議を唱える〉を裏打ちするものであった。一面に明治学院の原武史さんのコメントが載っていたが、その内容を見て、「あれっ、そんなこともあるんだ」と思い、本当なのかと考えざるを得なかった。それはコメントの最後の部分であった。同氏は次のように言ったと東京新聞は書いている。

A級戦犯が処刑された48(昭和23)年ごろには昭和天皇の精神的危機が最も高まったが、この時期、数多くのキリスト教徒と接近し、定期的に聖書の講義も受けていることが確認できる。良心の呵責(かしゃく)にさいなまれる一方、退位して責任を取ることもできず、救いを求めて改宗を考えていたとも解釈できる。

私にとって「定期的に聖書の講義も受けていることが確認できる」と言われていることが全く初耳で、自分の耳を疑った。それで図書館に行って他紙の報道を確かめることになった。確かめている過程で、中々どうして各社とも今日の記事は横並びでなく、それぞれが社の命運をかけて報道しているように見えて頼もしかった。そして朝日が三人の鼎談記事という中で天皇と「キリスト教との関係」という形で触れていることもわかった。

三笠宮が聖書にくわしいのは知っていたが、天皇に聖書の講義がなされていたと正面切って言われて見て、はじめて戦後のその皇室や政権中枢部をめぐる部署にキリスト者が今とは想像できないほど深く関わっていたことを思い出すことができて、最初の違和感はなくなり、今後そう言う視点でも、昭和天皇の事跡を見て行きたいと思わされた。

ただ問題は実録と典拠のちがいだ。再び原氏のコメントをお借りする。

実録と典拠を比べると、ニュアンスが違うケースがある。例えば原典には、退位をめぐる昭和天皇の思いが描かれているのに、実録では中立的な書き方になっている。天皇の戦争責任を感じさせないようにしたのだろう。

どうして、このようになるのだろう。天皇がお気の毒になる。ありのままの天皇の思いが「象徴天皇制」の名の下でその人間性が吐露されにくいシステムになっているからである。私は象徴天皇制より強化された天皇制に賛成ではないが、これが日本政治をある意味で曖昧にすることの元凶かもしれないと思わされた。

聖書の民は一貫して、王であろうと市井の者であろうと罪は罪と認めて、まことの神に謝罪、悔い改めの道が用意されていることを知っている。

ナタンはダビデに言った。「あなたがその男です。イスラエルの神、主はこう仰せられる。『わたしはあなたに油をそそいで、イスラエルの王とし、サウルの手からあなたを救い出した。さらに、あなたの主人の家を与え、あなたの主人の妻たちをあなたのふところに渡し、イスラエルとユダの家も与えた。それでも少ないというのなら、わたしはあなたにもっと多くのものを増し加えたであろう。それなのに、どうしてあなたは主のことばをさげすみ、わたしの目の前に悪を行なったのか。あなたはヘテ人ウリヤを剣で打ち、その妻を自分の妻にした。あなたが彼をアモン人の剣で切り殺したのだ。・・・ダビデはナタンに言った。「私は主に対して罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。(2サムエル12・7〜9、13)

0 件のコメント:

コメントを投稿