2015年4月24日金曜日

束の間の四半世紀(1)


眼下に太平洋を望見できるお庭

 日曜日、日立の方々と一緒に主を礼拝した。男性二人、女性五名の総勢七名であった。鈍行列車で出かけることにしているので、いつも家を出るのは早い。ところが、今回は初めてとも言っていい経験をした。それは途中の乗り換え駅である柏駅がホーム上で各車両の入口に人々がたむろしていて、おかげで車内はずっと立ちっ放しであったことによる。いったい何があるのだろうと注意して眺めていたら、皆さんリュックを背負うなり、トレーニングシャツを着るなりし、一様に日焼けをし、健康そうな人ばかりだった。その内に、皆さんがてんでに「かすみがうらマラソン」のチラシを持っていることに気づく。土浦駅で人々は一斉に降りられ、やっと席に座れた。

 こんなことは初めてであった。日立行きは判で捺したようにその日程は決まっている。ただ前回大学の同窓会に出席するために当番を後退してもらったため、今回この恒例の行事とたまたまぶつかったのかもしれない。人々の喧噪からも解放され、いつものようにゆったり窓外にひろがる景色を楽しむ。いくつ駅があるかもしれないが、日立までは結構遠いのだ。ただこの日は、生憎曇り空のために筑波山も見えない。でも春の緑を見るのは心地よい。

 常陸多賀駅に着き、タクシーで向かう。いつもの方々が集っておられた。お話する中で、こうして何年通ってきているのかと、問わず語りに語ってしまっていた。朝の初体験から私の内でその思いがしきりと繰り返されていたためである。ところが、予期しない答えが帰って来た。「もう24年になりますよ」一瞬我が耳を疑った。「そうなんだ、24年なのだ」という思いがした。24年と言う年月はあっと言う間である。この間、何をしたわけでもない。こうして愚直にみことばを通してお互いが主を喜び合えていることが恵みなのだと感謝した。

 この家の主(あるじ)の方がおっしゃった。「集会に、仕事を持ちながら、日曜日になると遠くからみことばを携えて来て下さる。そのことに感謝していた。最近その自分も遠くへみことばを携えて出かけるようになった。決してたくさんの人が集まるわけではない。人数は少ないと言ってもいい。けれども、そこでお交わりをすると主にある恵みを聞かされる。多くの人の率直な証をお聞きするたびに恵まれます。主イエス様はすごいとしか言いようがありません」と。 工学部の応用化学か何かを専攻され、縁あってこの地で職を得、居を定められた方である。

 その始まりは私も昨日のごとく覚えている。集会があることを伝え聞き、一人の卒業生が近くに住んでいるので、誘った。聖書を持ってやって来た。嬉しかった。その彼女も様々な人生経験をする中で、先の震災を機に故郷の実家に帰って行ってしまった。以来、彼女の家を訪ねることもままならなくなった。時折、こちらから電話をかけたり、彼女がくれたりするが、最近ではその交流も途絶えている。ほぼその四半世紀前にベック兄が行かれて持たれた家庭集会の日時は平成3年の3月だと、やはりその場に出席している方があとで教えて下さった。

 でも話はそれで終わりではなかった。実は先週一人の方が静岡県の藤枝で召された。その方は新幹線を使ってこの地まで、みことばを求めて来られていたのだという。そしてその方が悶々とした「律法」のしがらみのある宗教生活から、真の自由を得られた。「私たちもまたそうだったんです。だから彼女は私たちにとって戦友だったんです」と、懐かしそうにこれまたご婦人たちが語られていた。四半世紀遅々たる歩みではあるが、日立まで通われた方の藤枝のお宅でも後に家庭集会・礼拝が持たれるように導かれた。こうして変らず主を賛美し、私たちの罪の身代わりに十字架にかかられ、それだけでなく三日後によみがえられた主イエス様を信ずることにより、新しいいのちを得ている幸いを感謝する。もちろん、私たちの至らなさのために、まだこの場に集い得ていない多くのまわりにいる家族友人の救いを祈るや切である。

私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。(ローマ7・24)

信仰が現われる以前には、私たちは律法の監督の下に置かれ、閉じ込められていましたが、それは、やがて示される信仰が得られるためでした。こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。(ガラテヤ3・23〜24)

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