2015年4月16日木曜日

二年浪人後の大学生活(下)


大手門橋から遠望する彦根の大学 2010.2.24

 このような大学生活であったが、部活動を選ぶ時、一時テニス部に仮入部したが、駄目だった。その時、小中高と一年下のK君が「グリークラブに一緒に入りませんか」と勧めてくれ、二人して入部した。彼はテナーで私はセカンド・テナーに割り振られた。練習は確かこの大学の講堂を利用したように記憶する。

 部活内では随分濃密な人間関係を与えられたように思う。そして二学年に進学した時に、家庭教師をしていた中学生の姉も短大に進学して音楽部に所属した。そのために私たちのグリークラブと短大音楽部の交流があり、多くの団員の中に混じって彼女とも一緒にステージに立つこともあったように覚えている。その指揮者が(上)でご紹介したK氏であった。そのレパートリーには多くの宗教音楽があった。

 ところで、彼女は音楽だけでなく、絵も好きで大胆に「赤い城」の絵を展覧会に出したりしていたので、もともと絵の好きな私は徐々に彼女に興味を持ち始めていた。ところが後に結婚してから初めて知ったことだが、当時彼女は私の同級生の某君に夢中だったのだ。しかしその愛はなぜか実らなかった。彼女はすべてに絶望し、短大を卒業し、私が大学4年生の時には、家を出て県内の遠くの養護施設の寮母として住み込みで働き始めた。その職場で今は天に召されている平野幸子さんと出会った。この方は短大の先輩であったが、先に失恋を経験し、今また寮母として恵まれない環境に置かれた子どもに愛をもって接しようとしても、到底できそうにない自分に悩んでいた彼女に、救い主イエス様を伝えられた。彼女は初めて主イエス様が十字架上に自分の罪の身代わりに死なれたことを知り、主イエス様に対する信仰を持ち、前向きに人生を生きるように変えられた。

 それは私が大学を卒業し、北関東足利の新天地で生きようとしていた時と重なった。このころには私は継母との関係が自動的に断ち切られ、なぜか自らの結婚を考えようと一生懸命であった。その時、頭にあったのが故郷にいる彼女であった。こうして私たちの親しい交流、それも手紙を通してのおびただしい文通が三年に及ぶようになった。私はその大半を大学4年で身につけた思想で自らを武装し、彼女の信仰を批判していたが、ついに自ら隠し持っていた罪の告白を認めずにはいられなかった。

 ところが彼女は私の罪を攻めるどころか、逆に「私の罪も、あなたと同様に自己中心の汚れに満ちた罪でありました。どうぞ、イエス様にあなたの罪の重荷を下ろして、気を楽にして下さい。イエス様は、とっくのうちに、あなたの罪を赦して下さっていますよ。」とそれこそ福音そのものの手紙を私に寄越してくれた。今でもその手紙を読むと自然と涙が出て来る。それは主イエス様の愛が十字架刑の贖いを通して溢れ出てくる思いがするからである。

 二年浪人後の合格大学は彦根の大学だけでなく、京都の大学にも受かっていた。本命の大学ではなかったが、そちらに進学すれば理学部への転部の道は辛うじて残っていた。本命の大学であったら、喜び勇んで、京都に行ったであろう。しかし結果はそうでなかった。だから、思案した挙げ句、継母との生活も考えて結局地元の大学に決めた。その結果は思いもしない自らの情欲のとりこになった生活の始まりであり、一方では先輩がかつての高校の後輩であると言う当時の私にとり、これ以上屈辱的な生活はないと言う4年間を味わわされた。

 だから私にとってこれまで大学生活は思い出したくない自分の人生の通過点であり、同窓会も進んで出る気になれなかったのである。しかし、今回家人に勧められて端無くも同窓会出席を決断し、5分間のスピーチを考えるうちに徐々に考えは変ってきた。

 もし、私が人様より二年遅れて彦根の大学へ入らなかったら、義弟の家庭教師をすることもなく、私と今の妻との出会いは当然なく、まして、妻が主イエス様を知るようになったもともとの原因である私の同級生である某氏との出会いもなかったわけである。K氏は謙虚に自らの大学生活を振り返り『大学留年』の事実を公表し、その上で「彦根は私の生命の灯をともしてくれたところです」と結んでおられた。

 私はこのK氏を指揮者とするグリークラブをこれまた友人のT君と語らい、わずか一年数ヶ月足らずで退部した。それは「グリーには思想性がない 」という生意気にも、一方的な独断によるものであった。しかし、今回その同窓会で『山に祈る』(清水脩作詞作曲)の話が出てグリークラブのメンバーが出て歌うことになった。私は脱落者であるにもかかわらずノコノコと壇上に出て口パクでありながら仲間に加えてもらった。一挙に空白であった大学生活が私によみがえってきたからである。

 私はその後、主イエス様を信ずる仲間たちと集まるごとに主を賛美する歌を歌っている。これは大学卒業以来変らない。考えて見ればこれもまたK氏を始めとしてグリークラブの仲間が音痴である私に下さった大学生活の大きな賜物の一つであると言えるのでないか。それにくらべて自らの傲慢さはいつまで経っても治らない。今度こそ、K氏の言い分を真似してであるが、私も言いたい。

 彦根は私の「いのち」の灯をともしてくれたところです。

 もし、この大学の存在がなければ、私はイエス・キリストに出会わずして、永遠のいのちを知ることもなかったであろう、と思うからである。

もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。(1ヨハネ1・9)

イサクは、その母サラの天幕にリベカを連れて行き、リベカをめとり、彼女は彼の妻となった。彼は彼女を愛した。イサクは、母のなきあと、慰めを得た。(創世記24・67)

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