2015年12月11日金曜日

ああ!高校新聞史(下)

高校時代の友人N氏の座敷の欄間に架けられていた扁額

 私にとって、「何よ、今更。高校時代! あなた、あの高校時代がそんなに良かったの!」の言はまことに貴重であった。かつて20年ほど前、高校時代に互いに気を許していたと思っていた方を訪ねたことがある。その方はすでに町のお医者さんになっていた。その時、この友人はにべもなく言い退けた。「高校時代は思い出したくもない。お互いがライバルで、人を蹴落としてでも這い上がろうと懸命でなかったか。高校時代、誰にも心を許せなかった。それにくらべ大学時代は全く異なった。自由だった。私はここでほんとうに心の友を持った」

 恐らく、この友人は同期会には出席していないだろう。私とてもこの友人の気持ちがわからなくもない。しかし、同期会の常連である先の友人はそう言い(冒頭の言)ながらも、この同期会運営のためにいつも骨を折って労を惜しまないでおられる。むしろ年老いてからの互いの交流を楽しんで集っておられるようだ。

 同期会が終ってから大部な高校新聞を再び読み返し、新たな発見をした。それは二年生の時の新聞である。同じクラスの一人の方が生徒会長に立候補したおりの挨拶、またやめた時の挨拶文であった。そこにはその方がお父様を高校に入ってから亡くした悲しみが綴られていた。確かにその文章は当時読んだ記憶がある。しかし、そのおり恐らく、彼の境涯に一片の同情を持ちつつも、そのような公の挨拶に個人的な消息を書くことは慎まねばならないと批判的に見ていたのではないか。

 50数年を経て、再読し、ふつふつと彼の心情が伝わって来て、何と自分は薄情だったのかと思い至った。私も高校を卒業して間もなく母を亡くした(彼のお母さんは私の母と女学校の同級生であったように記憶する)。高校時代の自分はすでに病臥中の母を抱えていたが、我利我利亡者として彼の苦しみ悲しみに寄り添うことはなかった。今にして慚愧の思いがする。その後彼がどうなったかは知らぬ。

 そう思っていたら、今回の同期会に出席した一人の方から長文のメールをいただいた。一年生の時の同じクラスであった方である。控えめに見えた彼の内面に大きな葛藤があったことを初めて知らされた。そして15年間眠っていたと言う彼は、同期会を大切にして元気な顔を見せて三六会を励ましてくださっている。

 人生の多感な時期に同じ学び舎で様々なことを考えながら、私達は今日に到っている。つい先だっても、改めて一年生の秋の新聞に「原水爆実験禁止をめぐって」と題する座談会での先生とAFS留学を終えて帰られた二年生の方との記事を読み、感慨を覚えさせられた(※)。この方は他の号にも「アメリカの印象」と題した投稿や「アメリカに学んで」という座談会でご自身の意見を積極的に表明されていた。時は安保反対運動が盛んで高校生ならずとも無関心ではおれなかった時である。

 その方が長じて『朽ちていった命ー被爆治療83日間の記録ー』NHK「東海村臨界事故」取材班(新潮文庫)にとことんまでつきあわれた医学者で、責任者であることを知ったのはこの我流の「高校新聞史」の編纂の作業を通してであった。早速、図書館を通して取り寄せてもらったが、私はこの本を涙なしに読めなかった。もちろん、被爆し亡くなられた大内久さんの悲惨な死を思うてであった。一方、その治療の陣頭指揮を取られた同窓生でもあるM氏の苦渋を追体験しながら、この方が高校時代考えられたことがその後の人生の歩みに生かされているのでないかと思った。そしてその貴重なお働きの上に主イエス様の導きがあればどんなに素晴らしいことであろうかと考えさせられた。

 46枚のブランケット版の新聞は大部であった。しかも、私が要約しようとしたA4版でわずか四頁の「高校新聞史」は果たしてどれだけそれらを正確に反映できたか心もとなかった。まして、その高校時代の評価はこれまで述べて来たように、自らの体験をふくめて人によってまちまちであることも知った。

 にもかかわらず、私にとって「高校新聞史」を考えたことは無駄でなかった。たとえどんなに恥多き高校時代、逆に栄光の高校時代であろうと、リタイアして人生の最終局面にさしかかっている今、お互いにかつて学び舎を共にした事実には変りない。その同窓の誼みをもとに新たな人間関係を持たせていただいていることには大きな意味があると思い至ったからである。

(※そこでその方は次のように語っておられる「もし我々が黙っていたら即ち無関心でいたら世論はどうなるんです。独裁政治になってしまうんじゃないですか。世論を無視しての政治は現在不可能でしょう。この原水爆禁止を米、英、ソに要求するのは確かに岸首相であり藤山さんです。しかしその首相を支持するのが我々の世論なんですよ」)

どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。(詩篇119・9)

神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。(ピリピ2・13〜14)

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