2018年6月20日水曜日

主よ!感謝します!


あなたは私のために、
嘆きを踊りに変えてくださいました。
あなたは私の荒布を解き、
喜びを私に着せてくださいました。
(詩篇30:11)

 久しくブログを休載していたが、また少しずつ雑感風に日常茶飯事に起こる出来事を素材に書くことにした。

 今日は、あいにく雨が一日中降っていたが、前夜のサッカー勝利の興奮がさめやらぬ中、またその前日の大阪の地震の多くの被害を見聞きするにもかかわらず、身辺の事柄に忙殺された。1990年の5月以来ほぼ毎月欠かさず行なわせていただいている家庭集会の日であったからである。

 家庭集会は教会を出て、今の集会に出席するようになってからの定番である。必ずお一人の方のメッセージ、またお一人の方の証をみんなでお聞きし、そのあと三々五々各テーブルを囲んで話合いお交わりをするという単純なものである。私たちはそのための会場を提供するだけである。

 雨の日など、皆さん、出て来られるのはそれぞれおっくうであろうが、遠さをものともせず、集まってきてくださる。今日は藤沢や横浜、栃木県の小山などからも集まってくださった。その点、会場提供者はいながらにして、「主の恵み」を頂戴することになる。

 そんな恵みの一つに出席者の皆さんのお顔を覚えることがある。そして、その数が、出席される方のお顔がたとえ違い、入れ替わっても、合計してみるとほぼコンスタントな数字になっているのはいつ振り返っても不思議である。たとえば5月は57名の方が出席され、前回出席された方が今回は来られないでおられるのに、今日も54名の方が出席されたからである。

 口コミで皆さん集まって来られる。その中には急に思い立って10数年ぶりに来られた方や、全く初めて集ったという方もおられる。その私たちはひとつのみことばで一つにされるのだ。今日のメッセンジャーの方の話の題名は『幸福の指標』であった。

 そして冒頭のみことばはそのメッセンジャーの方が引用されたものである。お話によるとご結婚されて9年ぶりに与えられた胎の実が、わずか8ヶ月で奪われたという不幸であったという。しかし、その不幸をとおして、主の愛をお知りになられた。まさに主イエス様の愛をとおして嘆きは踊りに、荒布は解かれ喜びを着せられなさったのである。

 証をしてくださった方も、事業をかかえるご主人を支えながら内助の功を果たす上で様々に働いてくださった主をお証くださった。相変わらず、雨の降る中、家路を急がれたお一人お一人も来る時と違って心の中に主の与えてくださる平安をいだき、お帰りになったのではなかろうか。

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