2019年2月18日月曜日

老聖徒の証(3)

神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。(2コリント9・6)

 日本に着いたんですね。団体の責任者は迎えに来ました。けれども迎えに、帰り道に電車で行ったんです、中野島まで。そしてその中で私はそういうように働きますと、そこで全部言いました。これらの人は彼(主人)は何を言うか、ぴんと来なかったのです、多分。けれどそれは立派だと思いました。けれども、その時は主人はもちろん初めて日本語勉強のため学校へ行きました。けれどもそれは一年間、あるいは二年間それはわからないですけども、覚えないんですけども。その後で私はすごく安心するようになりました。

 そして私は今何も話さない。その時、そのままでまかせますというふうに、主に任せますというようになりました。そして那珂湊というところへ、すぐ行ったところでしたから、そこで主人がすわりました。そこで教会は何もなかったんですね。そしてそのところへ行きました。そのところで9年間(と思います)働きました。それはすごくいい時代でした。主人はもちろんお客だけの、その時まだ誰かいたか知りませんけど、ほとんど主人がメッセンジャーでしたけども、すごく時間がかかりましたね、初めのうちは。けども、10年後でものすごく自由になったんですね。けども、そのあとで私たちは団体のことは支配しません。団体のことは聖書的じゃないということ、そして私たちはその時離れました。

 その時、ドイツの責任者は初めての九年間はすごく(私たちの)後ろ盾なりました。団体、それは決めますけど、もしベック兄はちがう意見あれば、自由にできますという、九年間でした。その方亡くなりました。その次は別の後継ぎは全然ちがう人でした。けれども彼(主人)はもう日本語できました。そして、どういうふうに支配するかということ皆説明しました。主人はああ、こうだ、それは私たちの終わりですよ。そして、主人は私たちそのあとでリーベンゼラーから出ました。そして自由になって、そしてたくさん団体があって、宣教師が自由に行った人はあります。

 それは私たちもできる場所でしょう。そして決まったとき私たち生活するために金なかったんですね。その時から、それは今日まで同じですよ。そして一度も、一度も、困ったことがないです。経済的(な面)です(よ)。何か問題がなかったですけど、本当にイエス様が導きです。(イエス様の)素晴らしさは、ものすごい奇跡です。日に日に経験しました。これは今まで考えると、本当に不思議ですね。不思議です。奇跡なさるべきでした。その時から「イエス様、生きている」ことがわかりました。私たちはその時大きな集会持ってました、もちろん。この人たちは来ましたけども。本当に私主人どのように考えていたか話しませんけど、すごく奇跡的に生活することができました。大きく集会になりました。そしてどのくらい集会があるか、今忘れました。日本中の集会になったんですね。主はすばらしい。

(このようにたどたどしい日本語を使いながら、人生の大半を異国の日本で過ごしながら、ひたむきに主イエス様と日本人を心から愛されてきたミンヘンさんを思う。そしてこの話の末尾にあるように、主は奇跡をなしてくださった、これからもしてくださる、と心から確信し感謝しておられる姿を知ることができるのではないだろうか。そんなミンヘンさんではあるが、別の時、皆さんの前で人目もはばからず、ドイツ語で話されながら、激しく泣かれた。私たちにはその言語はわからなかったが、その切々たる感情は今も私の身に迫ってくる。
 昨年の12月21日のブログhttps://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2018/12/blog-post_21.htmlで紹介した以下の交わりも、同じミンヘンさん宅での交わりで経験した交わりであるし、この方も89歳であった。老いて主イエス様にあって、喜び、悲しみを披瀝しながらお交わりできるのも大きな主の恵みではないか。)

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