冬寒に いとこ迎える 庭仕度 2021.12.13 |
このようにあなたがたは、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国にはいる恵みを豊かに加えられるのです。(2ペテロ1・11)
2021年を迎えて、一度も投稿せずに年を越そうとしている。それまでの年月のブログ三昧の日々はいったい私にとって何だったのかと思わざるを得ない。一方で別の観点から振り返れば、それだけ実生活に気持ちの余裕がなかったのかもしれない。
ここまで書きながら、ブログから遠ざかったのが、ブログ投稿の書式がより緻密(?)になり、以前のように自由に投稿できなかったことが主たる原因であったことに思い至った。それは、今試し打ちしている文章が、まったくそれまでと同じように投稿できるようになったからである。まことに私にとっては大きなクリスマスプレゼントになった。もちろん、このことは私の「いのち」にかかわることでない。
しかし、冒頭の聖句は今朝のクリスマス礼拝で朗読された聖書の一文であったが、私にとってこれぞほんとうのクリスマスプレゼントとなった。私はその時「豊かに」ということばに一瞬釘づけになったのだ。そして家に帰って来てからもう一度確かめてみた。ところが、みことばの意味するのは、豊かに「加えられた」とも書いてあり、それは「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国にはいる恵み」であることに改めて気づかされた。そう言えば、今日は、御国にはいる恵みを、何度も聖書朗読の箇所でお聞きした思いがしていた。
そのひとつである「狭い門からはいりなさい」(マタイ7・13)というみことばは、イエス様ご自身の私たちへの呼びかけであることに気づく。イエス様は門の内に永遠のいのちを用意して待っていてくださる。それなのに、私たちはその門にはいることを躊躇(ちゅうちょ)しているのでないか。「はいりなさい」と言われるイエス様のやさしい声を何度も聞くことができるとは何という果報者であろうか。
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