神の子イエス・キリストの福音のはじめ(マルコ1・1)
マルコの福音書全体が『福音』であって1章がその『始まり』であるという意味ではない。イエスの御一生が人類の『福音のはじめ』であるという意味である。イエスは『神の子』すなわち神を地上に代表するおんひとり子であると信ずることが私たちの幸福の第一歩である。
今日の元旦を『福音のはじめ』をもって始めることは何というおめでたいことであろう。イエスが始めて下さったこの福音を私たちの生活の中に生かして行く。一日一日と福音の中に、歩を進めて行く。この年の一日一日が天国の祝福への一歩一歩となる。毎日毎日イエスの与えてくださる福音に新しく生き、毎日毎日『いのちのパン』である主イエスの饗宴にあずかる。このようにして私たちの一生は福音の一生となる。
私たちイエスを信じ彼と共に歩む者には時はいつも正月、日はいつも元旦である。私たちは自分の猿知恵を出して『福音』を割引きしたり、神の御約束を疑がったりするから、イエスの福音も私たちを祝福することができない。イエスを信じ切って行けば福音が腹から河のように流れ出る。
祈禱
慕いまつる主イエスさま。あなたは私の神、私の救い主、私のいのちの君です。願わくは、この年も自分の猿知恵を捨て、一心不乱にあなたの声を聞き、日々あなたの福音にあづからせてください。アーメン
(新年明けましておめでとうございます。1年越しのご挨拶となりましたが、本年もよろしくお願いします。今年は毎日マルコの福音書をご一緒に味わいたいと思います。この記事は青木澄十郎という方の『一日一文マルコ伝霊解』という1934年(昭和9年)に出版されたものを底本にしています。なるべく今の私たちが読んでなじみのある表現に変えて読んでいくつもりです。ご愛読ください。)
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