絵 加藤潤子※ |
悪魔は悪い奴には違いないが、その聡明さは到底人間の及ぶところでない。一見してイエスが神の聖者であることを知り、またイエスは悪魔のわざを滅ぼすために来られたことを知っている。
この聡明な悪魔を向こうに回して戦いを挑(いど)む私どもは毎日余りにも不用心で無頓着な生活をしてはいないであろうか。畢竟(ひっきょう)悪魔の存在すら感じない無感覚が私どもをそうさせるのであろう。
もちろん子供が幽霊を恐れるような恐怖はいけない。けれどもパウロの勧めるように『神のすべての武具』をとることを忘れてはいけない。すなわち『信仰の大盾』『救いのかぶと』『すべての祈り』などは一日も怠ってはならない。
祈祷
主イエスよ、願わくは、私をしてあなたの勇敢な兵卒として下さい。常に自らを守り悪魔に備えるだけでなく、進んで悪魔の本営を衝(つ)き、彼の手より多くの霊魂を救い出すあなたのわざにつき従わせて下さい。アーメン
(※前回、イエスさまの荒野での悪魔との戦いにこの加藤さんの絵を用いさせていただいたが、今日の箇所の方が適切だったと思い、再度使わせていただく。現に、マルコはマタイ・ルカとちがい、荒野におけるイエスさまが悪魔からどのような誘惑を受けられたか、逐一語っていないが、この23〜25節に至る汚れた霊につかれた人の所作は私たちに悪魔の働きがどんなものか、そして、イエスさまがその悪魔をいかに制する力を持っておられるかが具体的によくわかる箇所である。『信仰の大盾』『救いのかぶと』『すべての祈り』の一つ一つを確かめてみたい。)
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