野にありて 強く逞しく 生きる術 |
ヨハネは、らくだの毛で織った物を着て、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。(マルコ1・6)
今日のらくだの毛織のような柔らかいものとは全くちがう極めて粗(あら)いもので、古預言者の衣服をそのままに踏襲(とうしゅう)したのである。多分昔のエリヤを慕い彼に倣(なら)ったものであろうと思われる。その衣服と言いその食物と言い、その住所と言い全く超世間的である。
彼は肉体的生活を無視してかかっている。肉体の生活が罪悪であるとか、軽蔑すべきものであるとか言うわけではないが、人間にはこれぐらいの見識が無ければなるまい。ヨハネのように一生涯を通じてではなくとも、時と場合によっては自分の肉体的生活を超越するだけの気概がほしい。
この気概がなければ人間も肉体の奴隷たるに過ぎないで、あるいは単なる一個の動物となり終わるかもしれない。経済問題が信仰問題よりも大きく、パンの問題が霊魂の問題よりも大きく感ぜられる間はまだヨハネの弟子となることすらむづかしい。
祈祷
天の父よ。あなたは私に霊と肉とを与えてくださいました。しかし私は度々肉に仕えて霊を忘れてしまいます。願わくはヨハネのように強く霊に生きることを得させてください。アーメン
(上記文章は元旦、昨日に引き続いて『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著から転記させていただいています。なお、題名は引用者の判断でつけさせていただいておりますので、引用者の主観が入っています。三百六十五日のうち、まず三日間は続きました。さて、三日坊主に終わることなく、このまま走り抜くことができるか?今後もご愛読の上、お気づきの点があれば、コメント欄に投稿して下さるなりして、お教えくださいますれば幸いです。)
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