2022年1月2日日曜日

新しい日には新しい悔い改めを!

「見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう。・・・」そのとおりに、バプテスマのヨハネが荒野に現われて、罪が赦されるための悔い改めのバプテスマを説いた。(マルコ1・2、4)

 バプテスマのヨハネの無い信仰生活は柔弱である。イエスに来(きた)る前にヨハネに来(きた)らなければいけない。あの峻厳(しゅんげん)なヨハネの前に立って『罪の赦し』を受けんがために痛烈な悔い改めをしなければならいけない。

 罪がすべての災害の根であることを深く考えねばキリストの福音の徹底を期することはできぬ。自分の善を認めて喜んで居るのがパリサイ人であり、自分の罪を自覚して神と人との前に常にへりくだるのがクリスチャンである。

 洗礼を受ける時に悔い改めたからよいのではない。新しい年には新しい悔い改めをなし、新しい日には新しい悔い改めをする。かくて時々刻々が懺悔(ざんげ)の生活となるとき、イエスを心に宿す準備ができたのである。

祈祷

聖なる主よ、願わくは私にへりくだりと心からなる反省とを与えてください。願わくはあなたの使者ヨハネとともに荒野に出で行きて、ひとり罪に泣くことを教えてください。そしてその涙をもって世の罪と人の足とを洗わせてください。アーメン

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