2022年1月4日火曜日

聖霊のバプテスマの与え主、主イエス

 彼は宣べ伝えて言った。「私よりもさらに力のある方が、あとからおいでになります。私には、かがんでその方のくつのひもを解く値うちもありません。私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります。」(マルコ1・7〜8)

 水のバプテスマと聖霊のバプテスマ、この二つは信仰の生活にとって無くてならぬ経験である。一つは悔い改めを意味し、他はキリストの内住を意味する。洗礼が一つの儀式となってしまったらもはやその味を失った塩である。止めたがよい。

 しかし洗礼を受けた者は信仰によって新たにキリストのものとなり、朝に夕にキリストと親しく交わり、キリストのご指導を被(こうむ)り、常にキリストと共に歩むことができるのである。

 もちろん私どもは完全にこのことを意識してはいないけれども、このように信ずることができるのである。その時に聖霊は実に私どもの中に内住し給うことを体験して大きな満足を感ずる。自分以外の大いなる知恵と大いなる力が自分の内に宿っているという自覚は実に私どもを強くする。

祈祷

知恵と力のもとである主よ。あなたはあなたの聖い御霊をもって私の内に住んでくださることを感謝申し上げます。私たちの信仰の足らないところを憐れんでくださり、あなたこそ聖霊によってバプテスマを施(ほどこ)し給うお方であることを深く信じさせてください。アーメン

(上記文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著より引用。青木氏がどんな人物であるかはネット情報以外には詳しくは知らないが、この方の書かれた『詩篇の研究』(昭和34年出版)をたまたま古本で手にし、その文語体の文章に悩まされながらも、行間から立ち上る主を愛される思いが伝わって来た。ましてやマルコ伝という最も章立ての少ない福音書を一日一日コツコツ読み上げて読者に提供されるその姿勢に自分もあやかりたいと思い、ブログでの連載に思い至った。国会図書館にはこの書をふくめて青木氏の著書が多数デジタル化され、ライブラリーに収められている。https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/search?keyword=青木澄十郎&searchCode=SIMPLE

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