イエスは彼らに言われた。「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。」(マルコ1・38)
マルコはペテロの親しい者であってマルコ伝はペテロから出たものだとは誰でも知っているところである。されば、この記事はペテロの受けた最初の印象を示すものであろう。
ペテロのイエスによって受けた最初の印象はイエスの早朝の祈りと伝道の使命感であった。イエスは祈るためと福音を伝えるために『出て来た』お方であるということは、この時から深く胸裏に刻みつけられて一生忘れることが出来なかった。
されば、使徒行伝6章4節にも彼は『私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします』と決議している。今一つ注意すべきは『出て来た』の語であって、イエスはこの世に生まれる前から存在しておる自覚を持っておられたことを示すものである。ヨハネ伝16章28節にも『わたしは父から出て、世に来ました』と明言しておられる。世を救うただ一つの使命を負うてこの世に来られたのである。
祈祷
天より降って私たちのパンとなって下さった主よ。願わくは、私たちがまことにあなたを信じ、あなたを食し、あなたによってのみ生きるようにさせて下さい。アーメン
以下はクレッツマンの霊想(『聖書の黙想』34〜35頁より引用)
その夜、主はどんなにお疲れになったことか。彼の人間的な体力を要する、より多くの日々がそのあとに続こうとしていた。しかし太陽が、静かな湖に登り始める前に、イエスは目ざめてひとりになる場所を求められた。彼はそこで、人間の力を超えたこのわざのために新しい力を求めて、天の父と親しく祈られたのである。
しかし心配した弟子たちは、まもなくこの愛する先生の姿を見つけ、すべての者がもう起き出て、早くから先生を探していますと告げて、その祈りの静けさを破る。この人気は、主が願われたものではなかった。彼はただ一つの街のためにだけご自身をお与えになることはできない。彼はご自身の道を進みたまわねばならない。主に許されている短い時の間に、他の者もまた彼の言葉を聞こうとしているのである。
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