そして、天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」(マルコ1・11)
これだ。私はイエスのみでなく、これが神の造りたもうた本来の人間だと思う。罪を知らず、汚れもなく、清浄無垢(せいじょうむく)の人間は何は無くともこの特権だけは持っているのである。神と人とは近い。
現在の世界はいかに物質文明が発達しても、霊的には全く不自然な世界に堕落している。私たちを生み、私たちを造りたもうた、父の姿も見えず、声も聞こえない。そんな馬鹿なはずはないのである。もしアダム以来今日に至るまで、何人も罪を犯さず、神を離れなかったならば、今日の私たちは文字どおりこの時のイエスのご経験のように、天よりの声を聞き、天の父の愛撫の手を感じ得るに違いない。
キリストに救われた私たちでさえ真剣に考えて信じ進む時には、誠にボンヤリとではあるけれども、天よりの声を聞き、父の愛撫の御手の暖かさを感じ得る時(※)があるではないか。
祈祷
父よ、私はあなたに帰ります。豚の豆がらを棄てて今あなたのもとに帰ります。願わくは先に失った私の特権を私に返し、私をして再びあなたの声を聞く耳を与え、あなたの愛撫を感ずる触覚を与えて下さい。アーメン
(※申命記1章に「また、荒野では、あなたがたがこの所に来るまでの、全道中、人がその子を抱くように、あなたの神、主が、あなたを抱かれたのを見ているのだ。」(34節)とある。「胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ」(イザヤ46・3)ともあるように、主なる神様が御子イエスさまだけでなく、神の子とせられた私たちをも愛していてくださる暖かさに目覚めさせられたいと思わされた。昨日の朝はこの冬一番の寒さを感じる、と思っていたら、昼前から雪が舞い降りて来て、積雪となった。一週間ほど前にふるさとの大雪の報に接したばかりであった。空曇り、曇天の中、上から雪が舞い降りてきたふるさとには冷たさだけでなく、暖かさも覚えたものだ。それは少年の心が普段は汚れに毒されている世界が一夜にして白銀の世界と化した世界を見る喜び、雪合戦ができる楽しさで心が満たされていたせいだろうか。)
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