2022年1月6日木曜日

天が裂けて

日輪の 川面照らして 空蒼く ※
そして、水の中から上られると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。(マルコ1・10)

 これこそ実に偉大なる体験である。現代人にはそのまま受け取れまい。イエスの錯覚ぐらいにしか考えられまい。しかし神の子の姿をそのままに保持する人の子、堕落以前のアダム、理想の霊魂を持つ人間にとってはこれくらいの体験がなくてはならない。

 自分の頭上の天は一直線に神の御座まで通ずる、そして、神の御霊は一直線に自分の頭上に降ってくる。この聖なる交通を妨げるものはことごとく『 裂け』るのである。一点の雲さえこれを遮(さえぎ)ることを許さない。紺青の大空さえ裂かれなければならない。

 物質的障害はことごとく溶け去って端的に天の父がその御手を御子イエスの頭において祝福なさるのである。紙一枚の隔ても許さない神人の抱擁、これがやがて私たちにも与えてくださるイエスの賜物である。

祈祷

天の父よ、私たちはこの肉とこの物質との中に閉じ込められ、押しつけられて、あなたとあなたの世界よりあまりに遠く離れているのを悲しみます。願わくは私の頭上の天が裂け、あなたの霊が私の上に降りてきて下さいますように。 アーメン

(※青木氏は天が裂ける意味を強調され、「紺青の大空さえ裂かれなければならない」と述べられた。一昨日老聖徒からお電話をいただいた。「新約聖書は夜空の星々から始まり、終わりは明けの明星で終わる。いや明けの明星で終わりでない、義の太陽が上りイエス様がすべてとなられるのだ」と。お聞きしながらこの方の骨太の信仰に触れた幸いなひとときであった。同氏との過去のふれあいはhttp://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2018/12/blog-post_26.htmlに示したことがある。)

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