2022年1月8日土曜日

荒野に赴(おもむ)かれたイエス

絵 加藤潤子※
そしてすぐ、御霊はイエスを荒野に追いやられた。イエスは四十日荒野にいて、サタンの誘惑を受けられた。野の獣とともにおられたが、御使いたちがイエスに仕えていた。(マルコ1・12〜13)

 主イエスでさえ救世の御事業のために四十日間の特別準備が必要であった。食物さえも忘れてしまうほどの霊魂の戦争、悪魔との奮闘。野獣がやって来ても一向に気がつかれなかったほどの悪戦。

 ああ真剣に神を見、世の実相を見んとする者には必ずこの戦争が来る。今の世は悪魔の支配下にある。文明を誇るな。現在の欧米を見るがいい。文明が決して人を救わぬ、国を救わぬ。文明によって天国は決して来(きた)らぬ。

 霊界は依然として悪魔の支配下にある。否、悪魔はかえって文明の仮面をかぶって、文明の美貌のかげにかくれて、いよいよ世界の堕落を策してはいないか。

 私たちもイエスとともに荒野に出て行こう。そこで赤裸々な神を見、赤裸々な自分を見、赤裸々な悪魔を見て、戦おう。

祈祷

神よ、私たちは、この世の文明に酔わされ、欺かれて、たびたび、あなたの姿を見失ってしまいます。願わくは、私たちをして、荒野に行かしめ、かしこでは赤裸々なる霊界を見させて下さい。アーメン

(※作者によると、もともとこの絵はエペソ6・13のみことばを念頭に描かれたが、『日々の糧三六五日』(金田福一著)の12月12日の「キリストの愛の中で」という霊想に触れて、自らに力みがあるのではなかろうかと教えられ、少し表現を変えたということです。拡大して読み取っていただくと制作者の意図がより鮮明になるかもしれません。今日の本文の作者青木澄十郎さんはどのように思ってくださるだろうか。しかし、マルコ1・11のあとにこの「戦い」があったことを考えると、今朝の霊想に加藤潤子さんの絵を使わせていただいたことも、必ずしも無謀とばかりは言えないのではないだろうか。)

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