2022年1月14日金曜日

身近な悪魔の存在

すると、すぐにまた、その会堂に汚れた霊につかれた人がいて・・・(マルコ1・23)

 『会堂に汚れた霊につかれた人』!何という不調和な響きであろう。イエスは 四十日の間荒野で悪魔と闘って来られた。しかし人間の社会に出て初めて悪魔に出会われたところは会堂であった。何という皮肉であろう。

 この人は外から見ても明らかに悪魔につかれていたと言うのだから、多分狂人のような類(たぐい)であろうか。何のために会堂に来たのであろう。外国の諺(ことわざ)に悪魔は会堂の屋根裏に住んでいると言うが、今日でも教会は一番悪魔に狙(ねら)われている所ではあるまいか。

 キリストに救われた私どもこそ油断をすると、かえって七つの悪鬼が入り来ると主が教えられたではないか(※)。現代人は大変にかしこくなって悪魔の存在など信じない。その高慢な不信仰こそ大きな油断の原因である。私は今でも悪魔の存在をそのままに信じる。そして主イエスによって常に彼と戦っていたいと思う。

祈祷

主よ、盲目なる私を憐んでください。「盲蛇に怖じず」の諺のように、私は盲目ですので、恐れるべきものを恐れません。知らないが故に容易に悪魔の捕虜(とりこ)となります。願わくは、私の眼を開いて、霊の世界の実際の姿をはっきり見て、肉と霊とを地獄に投げ入れる方を恐れて、常にあなたに、より頼む者とならせて下さい。

(※引用者注:マタイ12・43〜45。なお、祈りはマタイ10・28『fear not them which kill the body, but are not able to kill the soul: but rather fear him which is able to destroy both soul and body in hell.』)

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