2023年5月22日月曜日

不思議な「遺稿集」との出会い(上)


  昨日、礼拝のあと、知人から家内が一冊の本を託された。上掲の『天を夢みる枯れない葉』がそれである。今日午後初めてその知人にお電話して知ったことではあるが、その知人は私の家の近くで咽頭がんのために苦しい闘病生活を強いられている友にその本を是非渡してほしいと託されたのであった。

 私はそのことを知らされないまま、なぜか、今朝吸い寄せられるようにして、そのお預かりしている本をパラパラとめくっていた。私の良く存じ上げている牧師さんのお名前が三名ほどその本の中にはあった。その内容は野村ミサヲという方が悪性黒色腫という皮膚がんのために、三年余りの闘病生活の末、1987年3月26日に四十四歳の若さで天に召されたことを記録した「遺稿集」であった。

 何はともあれ、一体どういうご病気であったのか、またその方が、またご家族がどのような思いで病気に直面し、過ごされたのかを知りたくなり、ミサヲさんの書き遺された文章「涙の谷を過ぎる時も」を読ませていただいた。ところが、読んでみて、驚かされたのは大変な自らの病の記録よりも、病室に入って出会ったお一人お一人の方々と苦しみを共にし、かつその救いを心から願い、密かに祈っておられた姿であった。

 それもそのはず、彼女は入院する際に、ご主人と祈りをともにした時、ヨハネの福音書20章21〜22節を通して、死から三日後によみがえられたイエス様が弟子たちに『平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします』のみことばが与えられ、「私は病院へ遣わされて行くのだと信じて家を出た」と書いておられたのだ。

 病室では創価学会の方、またエホバの証人の方、実業界の方、教育界の方と、実に様々な方々との出会いがあり、それぞれの方に福音を伝えることが許され、永遠の「いのち」の確信までもっていただけたという喜びの話だった。

 私は、ちょうど5/17(水)に開かれた一人のご婦人の召天記念会のために聖書よりのメッセージを自ら買って出ていた。しかし、そのために、ゴールデンウイーク以来、どのようにその場でお話ししたらいいのか日夜思案し、苦しまされた。その懸念していた記念会も無事に終わり、ホッとしていた矢先、このような、この方の病を忘れさせるほどの様々な証の言葉に接して、ここに生きた証があったと思った。そして、もし、このことを事前に知っていたら、私の記念会のメッセージも随分変わっただろうなあーと思わずにはいられなかった。

 そうこうするうちに、つまり様々な方の追悼文やお写真を見るうちに、私はこの野村夫妻を以前から存じ上げていた方であったことを、薄紙をはがすように徐々に思い出したのであった。特にご主人の野村弘さんには何度か「ノア」に乗せてもらって、埼玉県内を行き来したことを思い出した。そして本の序文を書いておられる方とは、お互いにその存在を知っており、その方が中学校の責任者として私の勤務校にお見えになった時にはご挨拶を交わしたことまで思い出した。

 それにしても1991年8月20日発行の本が30年以上も経って、なぜ今、私の手元に渡ってきたのか、不思議でたまらなかった。その上、この遺稿集にはこのミサヲさんの記念会で語られた内田和彦牧師の爽やかなメッセージも載せられていた。内田牧師は様々な本を書いておられる方だが、私たちが信仰を持った当時、神学生であった方だ。懐かしくなり、野村さんにお電話したが、何しろ30年以上前の住所・電話で、通じなかった。

 そして「愛する我が子へ」と題した三人のお子さんに対して書き遺されたミサヲさんの20頁ほどの文章は特に感銘を受けた。その内の文章を一部抜粋しよう。

 あなたたちには信仰があり、聖書があり、祈ることができます。それこそ最善です。何か困ったことがあったら心を合わせて聖書を読み、祈り合ってください。神さまは必ず答えてくださいます。内輪もめほど、損なことはありません。兄弟仲よくしてください。それがお母さんの切なる願いです。友だちのまねをしたくなったら、それがいいことかどうか、聖書と照らし合わせてください。

このあと、さらに大切な勧めがなされている。その引用は明日にするが、これらには行き届いた母ならではの愛が満ちている。そして、長女の睦代さん(当時、高一)の記された「母の召天日」は、それゆえに、切々と迫って来る臨終の様子が記録されていて、涙せずには読めなかった。

 思えば、私も今から62年前の今日、1961年5月22日に母を四十四歳で失くした。この日に合わせるかのように、この「遺稿集」は何も知らない知人の手を通して私の前に現れた。まことに不思議なことだ。

涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。(旧約聖書 詩篇84篇6節)

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