2023年5月27日土曜日

ダリアのごとく平安あれ


  昨日は次女の家に出かけた。リノベーションして購入した家を私たち両親に一目でも見て欲しいと、ここ二、三ヶ月嘆願していたのだ。重い腰を上げて、やっと実現した。それぞれ次女夫妻の思いが新居にあらわれていて好ましかった。また安心もした。

 家に行く前に、私設とも言うべき植物園に連れて行かれた。家内の花好きを知っての母親思いのはたらきである。私もつきあわざるを得なかったが、花の多さに改めてびっくりさせられた。でも気に入ったのは、この一枚の写真があらわすダリアだった。この黄色一色こそ、昨日の次女宅訪問のイメージをあらわすにふさわしいと思った。

 もちろん、次女夫妻が気に入っている、ダイニングキチンの出窓の景色は、お隣のお宅の庭の木々を春夏秋冬見させてくれて、さぞかし心のリフレッシュになるだろうと思った。痛ましい事件が次々起こり、安閑としてはおれぬが、お隣さんと親しい交流を持てることは、今や何物にも変え難い、これまた財産ではないか。


 谷口幸三郎氏の作品も左側に覗いているし、隣にはみことばいりの可愛いカレンダーが置かれて、「26」という昨日の日付を知らせていた。みことばは次のものであった。



「私たちは、見えるものではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(新約聖書 2コリント4章18節)

 彼女の自宅の主な通りも車に乗せてもらって移動したが、途中、浦和高校もあった。私は80歳のミーハーお爺さんなので、浦和高校を一眼見たいと今度はこちらからお願いした、広い校舎敷地には驚かされた。ほぼ一回りしたところの一角に二棟の建物があった。これこそ私が撮影したいものであったが、残念ながら緑の木立に囲まれて道路からは思うように撮影できなかった。そうして辛うじて撮影したのが、次の写真である。


「中」の字が光っている。多分、旧制浦和中学の校章なのだろう。とするとその建物は同窓会館として利用されているのではないかと想像した。左手奥には時計台の尖塔が、それこそ緑の木々の間に見えた。私としてはこの二棟の建物を収めたかったのだがそれは無理だった。

 そのあと、じっくりと次女の家のそれぞれの部屋を見せてもらい、庭の草花を鑑賞させてもらった。家内は早速庭の雑草取りに夢中になった。おかげで今日は腰が痛いと言っている。そんな長い時間雑草退治に精を出したわけではないが・・・。それだけ歳をとったのだろう。家に帰ってきたのは六時近くになっていた。

 さて駅の階段に近づくと、ツバメがヒューと飛び去って行った。そうだ、ツバメの巣はどうなっているだろうかと思い、見上げたら、ちょうど母鳥がヒナに餌を与えているところだった。嬉しかった。

 してみると、前回撮った写真は、まさに母鳥が卵を抱いていたときでないだろうか。あの日からすでに二週間は経っている。母鳥はこうしてヒナに餌をやり育てていく。自然界に繰り返されているこの営みに脱帽せざるを得ないではないか。

 「命」をたいせつにしたい。目に見えるものにとらわれるな。目に見えないものこそ見よ。主は私たち罪人に今日も語りかけて下さっている。

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