2023年7月22日土曜日

「紫御殿」という草花

夏草の 紫御殿 珍しや
 いつも自転車で通る線路際の道、様々な花が次々と出迎えてくれる。一頃盛んだった葵の花は、ややすたれ、今や紅葉葵(もみじあおい)が目を惹く。白粉花(おしろいばな)もあちらこちらに、ヤマユリに混じって咲き、朝顔やひまわりの好季節に入っている。

 ところが先ごろ、紫色の葉っぱが、青草の中にあるのに気がついた。以来、何とかその花の名前をと探していたが、やっと見つかった。何と「むらさきごてん」だと言う。紫には高貴な印象がつきまとうから宜(むべ)なるかなと思った。

 ツユクサの一種だと言う。ツユクサと言うと、あの可憐な水色と黄色のコントラストも鮮やかな花弁を思い出す。この「むらさきごてん」も先端にほんの小さなピンク色の花弁をのぞかせる(この写真ではとらえきれていないが・・・)。ほとんどNHKの朝ドラ「らんまん」を視聴していないが、牧野博士ならずとも目を見開けば、植物の世界は無限で、造物主のみわざをあらためて思わされる。

 それにしても名前とはありがたいものだ。名前、名辞をとおして私たちは思考もし、人々と認識をともにすることができるからだ。そしてそれを通してより未知の世界に分け入ることができる。ましてや、人一人を知ることはそれ以上の重味、意味があるのではないだろうか。

 最近、私は「柏木義円(1860〜1938)」「朝河貫一(1873〜1948)」「東郷茂徳(1882〜1950)」という三人の人物の歩みを時代の流れの中で追っているが、私にとっては平々凡々と過ごしてきた今日までの歩みを、もう一度一つずつ尋ね直す良き思索の時となっている。まさに一面青草の中に忽然と現れた紫の花、「紫御殿」のような思いがしてならないのだ。

神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた。・・・彼は三千の箴言を語り、彼の歌は一千五百首もあった。彼はレバノンの杉の木から、石垣に生えるヒソプに至るまでの草木について語り、獣や鳥やはうものや魚について語った。(旧約聖書 1列王記4章29節、32節〜33節)

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