2011年6月16日木曜日

ひとりの人の決断と責任

訪れて三回目になる通り道、このような材木問屋(?)が当方のはっきりした記憶であった
先日、都内の某所を4ヵ所移動した。当初11時と4時半の二ヵ所だけであった。ところがそれから数日して7時からの予定が入った。移動時間をふくめて、用事を足すのにはそれぞれ十分な時間で楽勝であった。ところが前日になって、さらに11時と4時半の間に一ヵ所知人の家を訪問することにした。5年ほど前に二回ほど家内と二人で出かけたことがあるし、十分可能だと思ったからである。

この日も知人の家へは家内と一緒に出かけることにした。ところが知人の家の住所を確かめずに出てしまっていた。最寄りの駅は何となく覚えているが、それすらはっきりしない。でも二人の記憶をたどってみるとそこの地名が「八広」であることは何となく思い出せた。それで方面は分かったのだがこれではまだ確証が持てない。二人とも駅からの知人の家までの道筋の記憶があり、その駅さえ分かればと焦る。

急に出かけて喜ばせたいという思いもあって、道々二人でああでもないこうでもないと話しながら出かけたが、やはり不安が募る。知人の家に思い切って電話を二三度繰り返したのだが電話に出られない。あとで判明したのだがちょうどその方が外出中であったためであった。私たちは当てずっぽうで候補駅の一つ「東向島」で下車した。駅前に出たがこの駅でないことは確かになった。こういう時、当然だが家内は別の駅へ電車で移動しようと提案する。ところが私は手元のiphoneで、東向島から八広までの経路をグーグルの地図で検索し順路をたどることに固執し、家内の提案を拒否してともに歩くことにした。

何しろその情報をもとにすると距離数は1キロ以内で歩いて十分程度と出ていたからである。ところが結局そのナビをうまく使い切れず、同時に二人の思惑もあって、それからおよそ一時間程度その辺をうろつく羽目に陥った。目的駅は「八広」駅だとする家内とそうでないという私の意見の相違もあって二人の妥協の行動が繰り返されたからである。しかしそれでも埒があかない。もう一度と思い電話をする。やっとつながった。外出先から戻られたのである。この時初めて正式な住所を私たちは知った。再びiphoneで検索するいつの間にか目的地から大幅にずれて反対方向に向かっていたことが判明したが、とにかく二人ともホット胸を撫で下ろす。

それからおよそ30分程度歩いて知人宅を探すことができた。すでに3時半は優に過ぎていた。次の予定地は4時半であり、一時間を切っていた。残念だが知人とは玄関でご挨拶する程度で早々に引き上げざるを得なかった。帰りの道を聞く。結局最寄りの駅は東向島でも八広でもなく「 曳舟」であった。家内とは曳舟駅で別れ、私は4時半の次の地八丁堀へと急いだ。ところが次の目的地は二回目であるのだが、行き方は当てずっぽうであった。地下鉄網の四通八達している都内だから何とかなるという思いがあったからである。ところがこれまたとんだ誤算だった。曳舟駅と次の八丁堀駅への路線乗り換えの北千住駅を選ばなかったからである。これもかれこれ一時間弱かかったであろうか。4時半の予定が5時前になり、途中電話を入れたが先方に迷惑をかけた。

結果的には7時に最後に会う予定地になっていたところも20分程度遅刻する羽目になり、ここにも遅れる電話を入れた。一つのいい加減な決断がこんなにも楽勝だと思った計画に影響を与え、他の人をも巻き添えにすることの恐ろしさを痛感させられた。もちろんそれらの移動は電車、携帯を利用して即座に連絡を取りながら最小限度の犠牲に押さえることはできたのであるが・・・。家に帰り、家内にその後の行動を話す。「私たちの記憶ってだめね、5年前のこともすっかり覚えていないのだから。お互いに歳だから、そのことを考慮しないとネ」と慰めてくれた。私はそれと同時にやはりみことばを噛み締めざるを得なかった。

そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がった・・・(新約聖書 ローマ5:12)

自分自身のいい加減な性格、頑迷な性格、勘違いする不完全さ、日頃から時間にルーズな性格、数え上げればきりがない。この生き方が家内をふくめてまわりの人々に知らず知らず悪影響を与えているのだ。しかし、もう一人の方がいる。

もしひとりの人の違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりの人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。(新約聖書 ローマ5:17)

この方に頼り、一日の計画も祈りのうちに進めさせていただきたいと思わされた。

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