2011年8月25日木曜日

放射能と食べ物

ありふれた田舎の景色、しかしここで水遊びした思い出は尽きない
先日、冷蔵庫から冷凍しておいたご飯を取り出し、レンジに入れた。レンジから出て来たものの表面に何か光るものがかすかに見えた。ご飯の上に、まちがってラップの小片がまつわりついたのかな、と一瞬思った。ところが調べてみるとガラスの破片であった。縦横2、3センチの小片ではあったが。それと同時に家内が何日か前、台所でコップが割れたことを思い出し、そのコップを持ってきた。明らかにその破片はそのコップの一部であった。こうなると途端にそのご飯を食べる気がなくなった。コップのガラスがまだご飯の中に散らばっている可能性があるからである。それにしてもよくその小さなガラスを目が捕えたものだと感心した。もしそのことを知らずに食べていたら、と思うとぞっとした。それからしばらくして台所の片隅に落ちていたガラス片が見つかった。先ほどのガラス片と合わせてみると割れたコップの割れ目にピタッと重なった。するとご飯の中にはもはやガラスの破片はないことになる。ご飯をあらためながら恐る恐るほおばっていた食事にやっと勢いがついた。それにしてもよく見つかったものだと、主の備えられている危険を察知する能力に感謝した。

ところが一度あることは二度あるのか。次の次の日、今度はパン焼き器からできあがったパンに異変を発見した。パンはいつもになく仕上がりが良く、ふっくらとしていた。やおらパン切りで切りにかかった。ところが二片目か、三片目かパンの中から黒いものが散乱して出てきた。調べてみると全部ではないが最初のところに部分的に集中しているのが分かった。さらに調べてみると、何とシリカゲルの袋が出てきた。黒いものの正体とはこれであった。小麦粉かイースト菌か何かの中にもともと入っていたシリカゲルの袋が除くのをうっかり忘れて、そのまま入ってしまいパンが出来上がったのであった。そして私が裁断する際にそうとは知らず、このシリカゲルの袋を切った、そのために黒い粉が散乱したことが分かった。この時も最初はパンを食べる気がしなかった。どこにその原因不明の物質が混入しているか知れたものでないからだ。しかし原因が分かり、その黒い粉はパン製作のときでなく、できあがったあと発生したものであることが分かった。

食の安全が言われる。ましてや放射能とあってはお手上げである。しかし原因が分かれば、それなりに対応して食べることができる。何度も繰り返して言われていることだが、事実を正確に公表し、小細工をしないことだ。小さな家庭で起こった二回の異変も原因が分かり、事なきを得た。

それにしてもイエス様は外から入るものが人を汚さないと言われた。それよりも内側から、人の心から出て来るものが人を汚すと言われた。多くの人は原発の危険性に目が開かれている。しかし、私たちの心の中の恐ろしいもの、「罪」に気づいている人は一体どの程度いらっしゃるのだろうか。食べ物に細心の注意を払う私たちだが、神のみことばを食べないことが、どんなに私たちの死につながることか、私をふくめてどれだけ自覚しているだろうか。

イエスは言われた。「あなたがたまで、そんなにわからないのですか。外側から人にはいって来る物は人を汚すことができない、ということがわからないのですか。そのような物は、人の心には、はいらないで、腹にはいり、そして、かわやに出されてしまうのです。」イエスは、このように、すべての食物をきよいとされた。また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好 色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、 これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」(新約聖書 マルコ7:18~23)

イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」(マタイ4:4)

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