2011年9月1日木曜日

50年ぶりの再会

庭に訪れるあげはちょう、どうしてそんなに君はきれいなの

 50数年ぶりに、小学校・中学校の一学年上の女の先輩にお会いした。と言っても、その学校時代にその方と特別遊んだり、何か共通点があったわけではない。ただ一学年100名ほどの小さな町の学校だったので、顔は覚えている。その方が、脳動脈瘤切開手術を行ない東京女子医科大学に入院中ということで火曜日お見舞いに行った。

 今から 40年以上前、その方から私たちに結婚式の写真が送ってきた。キューピットのように可愛く、美しく、清楚なその方がウエディングドレスに身を包み、幸せいっぱいの様子が伝わってきた。隣の夫君はやや緊張気味だが、これまた若さいっぱいである。両側には少し年配の外国人夫妻がにこやかに微笑んでおられ、暖かく見守る感じだ。

 ほぼ同時期に私たちも結婚したのだが、写真で見る限り私たちはこんなにスマートではなかった。ただ、このご夫妻と私たち夫婦はお互いに切っても切れない関係があった。お二人とは、私より早く主イエス様と出会い、救いにあずかっていた家内が取り持つ縁だった。家内が独身時代、やはり独身であったこの方と信仰を通しての交わりが、少しあった。

 ところが、この方が結婚相手として選ばれたのは、私の高校の同級生だった。(後で知ったのだが、彼は大学時代にすでに信仰に導かれていたようで、私よりも10年ほど早いことになる)家内が選んだのはその方の同窓生である私であった。女同士互いにさぞ話が弾んだことだろう。ただこの四人の中では私だけは、主イエス様に関心がなく、彼らとは交流は一切なかった。その上、私は家内との結婚を希望こそすれ、中々強情でイエス様を受け入れず、そのこともひょっとしたら当時話題になっていたかもしれない。

 その後、互いに年賀状のやりとりはしていたが、それっきりであった。20年ほど前、「教会」を出て主イエス様が生き生きと証されている「集会」に導かれた。 うれしくなり、かつての旧知にそのことを伝えた。その中のひとりにこの方たちもいた。家内は電話もしたが、それほど喜ばれなかったようだった。このことは何となく私たちの心の引っかかりとなっていた。

 夫君とはここ一二年私と交わりがある。以前このブログでも紹介した方と同じ方である。私たちは彼から奥様の病気のことを聞いた。何とか、お見舞いと思っていて今回やっと実現した。学校の一年先輩と行っても個人的に話したことはない。まして、異性である。ここは面識のある家内を押し立ててのお見舞いとなった。病室に入って家内が話をしているのだが、それほど歓声が湧き上がっているようにも見えない。 そのうち家内が私に手招きをして、私も病室に入った。そこには、写真で脳裏に焼きついているまごうかたなきキユーピーちゃんがいた。そして、キユーピーちゃんから「吉田さん」と私の苗字が呼ばれ、次から次へ田舎の町の話、50年以上前のことが、泉のごとくこんこんと湧き出してくるのだった。

 結局わかったことだったが、家内がその方より四つも歳下で彼女の交友関係では、もっと別の方がおられて、家内のことは余り覚えておられなかったにすぎなかった。私たちはホッと胸をなでおろした。お見舞いとは言いながらも、一時間以上私たちは彼女から様々な話を伺うことができた。終わりごろ夫君が病室に立ち寄られた。家内はこれまた、50年ぶりにその方のご主人と再会した。主イエス様はどんなにこの四人の再会を喜んでくださったことだろうか。四人を代表して主イエス様に感謝の祈りをささげさせていただいた。

ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。(新約聖書 マタイ18:20) 

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