2013年10月28日月曜日

「宗教」と「啓示」(3)

海辺※ 2011.12.11
私たちは科学的な方法によっては、神を完全に把握することはできません。人間の理性には限界があり、無限の存在である神を百パーセント理解することは不可能なのです。人間の努力によって、すなわち、「下から上へ(地上から天へ)」という方法では、神に到達することは決してできないのです。それにもかかわらず、人間が有史以来試みてきたことは、何とかして人間の側からの努力によって神に到達しようとする試みでした。

人間が神に近づこうとするとき、ふつう次の三つの方法を試みます。第一の方法は、理性による方法で、哲学の目的はここにあります。第二は、感性によって、神をとらえようとする方法です。これは神秘主義と言われます。第三は人間の意志によって神に到達しようとする試みです。ところが第一の方法である「哲学」は必ず乗り越えることのできない大きな壁に突き当たり、第二の方法である「神秘主義」は方向性を見失った自己満足に陥ってしまい、そして第三の方法である「修行」は人間の尺度による間違った希望を目標としがちであります。つまりこれらの三つの方法によっては、神に到達することはできないのです。確かに人間はこのような方法をもって自分自身の神概念をつくりあげることはできるかも知れませんが、それでは生けるまことの神に到達したことにはなりません。

「下から上へ」すなわち人間の努力によって神に到達し、神を理解しようとする試みは、結果的には、人間を偶像礼拝へと導いてしまいます。偶像礼拝とは、唯一のまことの神以外のものを神とすることであり、偶像は人間が造り出したものにほかなりません。「下から上へ」という方法に基づく宗教や世界観は、私たちを真理へ導くものではありません。まことの神は人間によって造られたのではなく、人間が神によって造られたのです。ですから、人間が造った神は、まことの神ではなく、偶像にすぎません。偶像にはいのちがなく、私たちに永遠のいのちを与えることもできません。

これに対して、生けるまことの神は、ご自分のほうからご自身を「啓示」してくださり、人間に求める心さえあれば、神に出会うことができるように道を備えて下さいました。まことに神は人間がご自身に出会われることを切に望んでおられるのです。神が愛をもってご自身を現わしてくださること、これを「啓示」と言います。

この「啓示」には三種類のものがあります。第一に、神は自然界の中にご自身を現わして下さいました。

なぜなら、神について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。(ローマ1・19〜20)

このように、私たちは自然界の中に創造主なる神を見出すことができるのです。いかなる人間も、自分から新しいものを創造することはできません。人間が発明・発見と呼んでいることがらは、すでに神によって創造されているものを発見すること、また、それを活用することにほかなりません。たとえば、今世紀になって発明されたとされている電気や原子力なども、この例にもれません。大自然を見て、私たちがなすべきことはただひとつです。すなわち自然界の個々の被造物を通して、それらを造られた創造主である神を認めるということです。神は被造物の中に、神ご自身、神の力、神の知恵、神の配慮、神の真実、そして神の限りない愛などを「啓示」しておられます。また一方、罪を決して見すごしにはされない神の峻厳さも、同時に「啓示」されています。被造物は罪のゆえにのろいのもとにあるということも事実だからです。被造物はこぞって神を証ししています。自然科学者は、自然を研究すればするほど、自然の背後にある創造主の存在について認めざるを得ないと言います。自然を知ることは、神を知ることにつながるのです。正しい自然科学は、私たちを神への礼拝へと導きます。

しかし人間は、この神からの「啓示」に対して、どのような反応を示してきたのでしょうか。大部分の人間は神の作品である自然を認めていながら、その造り主である神を認めようとはしませんでした。その結果、神に対する畏れも知らず、神を礼拝しようともしませんでした。神を認めないということは、神の裁きのもとにあるということを意味しています。

愚か者は心の中で、「神はいない。」と言っている。(詩篇14・1)

つまり、神を認めないことは、自らを愚か者に定めていることにほかなりません。彼らに弁解の余地はないのです。人間は、神を認めることを拒否した結果、自らを霊的な盲目状態に陥れてしまい、神について何も理解することができなくなってしまい、その結果、「神はいない」と主張するようになってしまったのです。しかし人間は、この盲目の状態から回復され、霊的ないのちを再び与えられなければなりません。そしてそのための道をも、神は私たちに与えて下さっています。

以上でおわかりのように、神は自然界を通してご自身を「啓示」しておられます。

(『実を結ぶいのち』140〜143頁より引用。
※ニュートンは「世の人は私をどんなふうに見ているか知らぬが、わたしはただ真理の渺茫たる大海を前にして、めずらしい貝、美しい小石をひろいながら浜辺に遊ぶ子供たちのしているようなことをしてきただけだ」と言った。その墓石には次のように刻まれているそうだ。Nature and natural law lay hid in night! God said let Newton be! And all was light! 自然と自然の法則が暗夜の中にかくされていた! 神「ニュートン出でよ」とのたまい、かくてすべては光かがやいた!〈信仰偉人群像27頁より〉)

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