2020年8月10日月曜日

エル・ロイ(ごらんになる神)

テムズ川上空から(2010.10.14)※

 昨日の朝日新聞に編集委員の曽我豪氏が「戦後75年の夏・継がれゆく記憶」と題して、高峰秀子、古関裕而の戦争体験を述べ、一方で、今「エール」に出演中の二階堂ふみ(25)にどのように受け継がれていくかに触れながら、最後に「忘れず残したいと思う意思と聞いて継いでゆきたいと思う意思、その二つがあれば戦争の記憶は風化しない」とあった。

 世代を越えて、伝えることの尊さを思わされた。戦争体験ではなく、別の私的な経験で、ほんの少しだが、世代を越えて、伝えることの尊さを経験させていただいた。世がコロナ禍で騒いでいる5月下旬、愛する高校二年生の孫娘が急にコロナウイルスの病とは別の病を得て緊急入院をした。多くの方の祈りに支えられ、幸い7月には退院し、現在リハビリをしながら日常生活へと戻りつつある。そんな苦境にあった孫と最近LINEをとおしてメールの交換をする機会が与えられている。

 今回、私の孫に対する語りかけは25年前のことから、一気に60数年前に遡(さかのぼ)ることになった。25年前のこととは勤務校が思いもかけず夏の甲子園大会に出場した時の様々なエピソードの紹介であった。孫はもちろんそんなことは少しも知らないからびっくりしたことであろう。

 よせば良いのに、私は図に乗って、小学校6年の時の模型飛行機大会のことを話した(もちろんLINEのメールを使っての対話ではあるが・・・)概要は、その模型飛行機大会で、不器用極まりない私の飛行機が滞空時間がわずか50数秒で優勝した時の話だ。その日は風が強く、いつもは一分は優に超えるタイムで勝負が決まるのに、なぜか私の飛行機だけが墜落しないで最後まで飛び続けた。

 それだけでも私には驚きだったが、その時の褒美が何とほんものの飛行機に乗せてもらえるという景品つきだった。後にも先にもそんな話は聞いたことがなかった。私はこのビッグニュースを早速母に知らせようと急いで家に帰ったが、あの時ほど、自分の駆け足の遅さがうらめしかったことはない。とにかく「地に足がつかない」とはまさにその時の私の気持ちだった。

 そうして確か大津の皇子山に彦根から列車で担任の先生と二人して出かけ、プロベラ機に乗ったのだ。琵琶湖上を旋回して数分後に着陸し、あっと言う間に終わった。そのあと、帰ってから全校生徒の前で飛行機に乗った話をするように言われたし、作文を書くようにも言われた。その時、私は「みんなの家がマッチ箱のように見えました」とだけ言って降壇したように覚えている。

 先生方だったか、飛行機に乗ったんだから、乗った人しかわからない、もっとちがう話のしようがあるもんだと言われたように思う。私にしてみれば、本当言えば、飛行機に乗れるという話を聞いた時は先に書いたように、最初はうれしかったが、その日が近づいてくるに従って段々心細くなって来たのだ。大津への車中でもそのことばかり考えていた。「落ちたらどうしよう」と。ましてや、滑走路をガタガタと言わせて走っていくプロペラ機に身を任せている時なんかは、生きた心地がせず、先生が隣にいても恐ろしい思いだった。

 ところが、作文にもやはり自分のそのような内面の気持ちは書かずに、当たり前のことを書いた記憶がある。案の定、先生をふくめてみんなには不評判だった。それ以来「作文」というものは嫌なものだと思うようになった。孫にはこの内面の思いは伝えきれず、模型飛行機大会の事実だけを伝えた。特に自分がいかに模型飛行機をつくるのに竹ひごもうまく曲げられず、紙の貼り方も下手な誰の飛行機よりも稚拙(ちせつ)だったのに、優勝してほんものの飛行機に乗ったことだけを伝えた。

 孫は長いじいじの話を忍耐強く読んでくれたようだ。次のような感想を書いてくれた。「やっぱ見た目じゃなくて結果ってことなんだね」「じゃあ、じいじは一人で貴重な体験したってことだね!!!」ありがたい孫の感想だった。

 ところが昨日、今日とヴィルヘルム・ブッシュさんという方が箴言15:11「よみと滅びの淵とは主の前にある。人の子らの心はなおさらのこと」を引用して書いておられることを読みながら、孫にもう一つの大切な事実〈結果が良ければ、すべて良しではなく、人の心の中の動機こそたいせつなのだ、主なる神さまはそこを見られるということ〉を知ってほしいと思わされた。それは不器用な一人の少年が、苦心しながらつくった模型飛行機に、法外なごほうびをくださったのは主なる神さまだったのでないかということである。強い風に誰よりも稚拙な模型飛行機だけが最後まで飛び続けたこと自身、この歳になっても未だに不思議でならない。ブッシュさんの今日の箇所を拝借して引用させていただこう。

 聖書(創世記16:13)の中に、子供をみごもった体で、荒野に迷い込んだひとりの母親のことが書かれています。渇ききり、絶望して、ついに彼女は死を覚悟します。その時突然、自分の名前が呼ばれます。それは神の御声でした。彼女はこのお方を「エル・ロイ」(ごらんになる神)と呼びました。

 主よ! あなたのあわれみに満ちたご臨在を感謝します。 アーメン

 「エル・ロイ」の神は、まさに冒頭の朝日新聞の曽我氏の言にしたがえば、忘れず残したいと思う意思と聞いて継いでゆきたいと思う意思により、歴史始まって以来、今日まで連綿として伝えられてきた、罪人に対して一方的なイエス・キリストの十字架をとおして示された愛そのものでないかと思わされた。

(※飛行機でエジンバラからロンドン上空を経由してフランクフルトに入った記憶がある。その時、機内から撮影した写真である。考えてみると10年前である!)

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