2023年6月12日月曜日

主の与えてくださる喜び

立葵 凛と微笑む 梅雨景色
 今日は、次女の誕生日である。知ったのは、ちょうど先ごろ12時過ぎであった。家族の共同LINEに長女や三男がお祝いのことばを寄せていて、気がついた。家内に確かめてみると、昨日気がついていたが、今朝は忘れてしまっていたと、言う。

 私は、残念ながら、全く失念してしまっていた。何の言い訳のしようもない。ただ忘れる事情があった。それは今一つのことに集中させられているからである。いつもは覚えているはずのこどもの誕生日を忘れるほど、今、そのことに私の全神経は集中している。そのことはいずれこのブログでも紹介したいとは思うが・・・

 さて、1981年のこの日の出来事は忘れようがない。陣痛が始まった時、家には二階に父が占領しており、下には和室一部屋と台所、縁側に張り出した廊下のような横長の床仕様があり、そこに親子6人が肩を寄せ合って生活していた。あまりの悲惨さに、5人目を宿していた妻は舅に悲鳴をあげていた。ところが、砲兵将校として中支で軍隊経験のある私の父は、悠然としたもので、「犬や動物は野っ原で子どもを産んでいるんだぞ、何を慌てる必要があろうか」と一切意に解しなかった。

 「案ずるよりは産むが易し」とはよく言ったもので、陣痛の知らせを受け取った、近くにおられた藤沢さんと言うキリスト者の若夫婦が、すぐ車で迎えに来てくださり、助産院で無事産まれた。その時の、胸中に湧き上がった「喜び」はいつまでも忘れられない。迷わず、「喜実子」と命名した。何しろ、その当時、父は痴呆症を患っており、3月に彦根から春日部に転がり込んできていて、その対応に小学校一年の長男をかしらに四人の子供をかかえ私たちは前途暗澹とした気持ちに支配されていたからである。梅雨空のような重苦しい気分であった。しかし喜実子誕生は、文句なしに、父をふくめて家族全員の喜び・希望となったからである。

 半年足らずの11月29日に、その父が召された。打って変わって、その時は、今度は「悲しみ」が私の心を覆い、一晩中泣いていた。しかし、それはわずか二日ほどで終わった。その後には心の底から「喜び」がじわじわと湧き上がってきたのだ。それはこのことが主の変わらぬ愛のすべてであると心から納得できたからである。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2012/11/blog-post_29.html

 昨日の礼拝の後の福音集会では福代さんが「いのちと死」と言う題名で、主による霊の誕生(新生)について、ていねいに語ってくださった。私はこの時、再び「喜び」を感じた。そして福代さんは、最後に、引用聖句の「時が定まっている」というみことばは、私たちに神様の前に「へりくだり」を教えるためのものではないだろうかと、付け加えられた。

 時移り、喜実子は最愛の夫を与えられ、この礼拝の恵みにともにあずかっていた。主の祝福は尽きない。昨日福代さんが引用してくださった聖句を以下に掲げ、ともに主を崇(あが)めたい。

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。(旧約聖書伝道者の書3章1節〜2節)

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