2023年12月21日木曜日

天と地と人を写す写真の力

 今日は久しぶりに都心に出た。もっとも11月の勤労感謝の祝日にはいとこと会食のため、杉並に出かけたのだが・・・。でも都心という意識はなかった。それに比べると、「京橋」は都心に違いない。コロナ前は都心を通っては、吉祥寺まで週一のペースで足繁く通っていたのだが、ここ三、四年すっかり足が遠のいていた。そのうちに80歳という節目もいつしか通り越してしまった。あれやこれやでいささか都心行きは不安であった。

 目的は、知人から左の写真展の案内をいただいたので、出かけることにした。ちょうど開催期間は、私の帰省時期と重なり、出かけるとしたら、最終日の今日しかなかった。午後出かけることにして、午前中は賀状作りに精を出し、のんびり過ごしていたが、最終日の終了時間が午後2時となっていることに途中で気づき、少々慌てた。行かないとなると、折角案内状をくださった方に申し訳ないという思いが先立った。昼食もそこそこに家を出たが、電車を乗り継いで1時半には京橋駅に着いた。知人もおられるはずだと思うが最初は気がつかなかった。それよりは一枚一枚の「写真」のすばらしさに魅せられた。

 目は口ほどに物を言う、と言うが、「写真」という媒体がこんなにも多くのことを伝えてくれるとは思いもしなかった。日頃、ブログで写真を載せているが、その写真はあくまでも私の場合「飾り」に過ぎない。ところがこの「中国大陸を行く」という写真展はそれぞれの写真が語りかけてくるのだ。全体重をかけられ、それをどうこちらが反応すれば良いか心を探られるのだ。「来て良かった」と思った。

 写真展には、私のような鑑賞者がいることは当然なのだが、最終日とあって、写真を出しておられるカメラマンの方々もおられることに少しずつ気づき始めた。そのうちに懐かしい知人もおられることがわかった。早速駆け寄り挨拶したが、互いに握手しただけで終わった。あとでわかったが、その時、私は帽子を被り、マスクをしているので、知人には私が誰だかわからなかったようだ。気づくや、彼の出品作品の前で写真を撮ったりし、お互いにコロナ以来の再会を喜び合った。そして共通の友人が朝一番でお見えになっていたことも知ることになった。このことも不思議であった。

 鑑賞し終わって、帰ろうとしたら、主催者の方であろうか、その知人に「折角だから、この写真集をあげたら」と言っておられるようだった。見るとすごく立派な写真集だった。私は「お金を」と言ったが、「まあ、いいから。どっちみち見ていただくのが目的なのだから。それよりも荷物になるが、いい?」というようなことを言われたが、私は遠慮せずその本をいただいて帰りの途に着いた。『秘境探訪(中国少数民族地帯を行く)』(藍健二郎著)がその本であった。

 その後、私はその本が大判(120頁)なので、バックにも入れられず、むき出し状態のまま抱えながらの移動となった。そして、都内に行くときの長年の習慣で、私の足は古本屋へと自然に向かっていた。さすがに神保町はやめにして、時間も遅いので、江東区の南砂町の行きつけの古本屋だけにしたが、本を持って店内に立ち、掘り出し物を探すのには若干気が引けた(万引きしたと思われはしないかと思い)。ところで掘り出し物はこれと言ってなかったが、コロナ前にすでに目にしていた本が未だにあることを確かめて、内心安心した。機会があれば買えるからと思ったからだ。さて時間も経ち、寒さが身に染みてきたので、その店を出て、家路を急ぐことにした。その代わりに、帰りの車中で、ゆっくりその待望の写真集を手にすることができた。

 そして、圧倒された。たとえば、昨日の我がブログの「初雪の我が思い」がいっぺんに吹き飛んでしまう思いがした。すでにして昨晩は北国の豪雪の様を知るにつれ、我が思いは甘いと感ぜざるを得なくされていたのだが、もっと根底的な驚きであった。すなわち、自然の雄大さ、雪を抱く峨々たる山脈の鋭峰が写真集で表現されていたからである。改めて創造主のみわざに目を見張らされた。

 さらに家に帰って落ち着いて鑑賞すると、今まで気づかなかったことに次々と目覚めさせられていく思いがした。写真集の帯には「卒寿の輝き」とあった。1930年生まれの藍さんのいのちをかけた写真集であることは次の帯文章でも伺える。

中国少数民族地帯と聞くと「神秘的」「未開の地」「経済が遅れている」と連想するのだろう それはそれで言えているかもしれない しかし、そこは別の意味で未知の世界であり、神秘的で、憧れの地なのだ 藍さんは80歳を超える年齢で四輪駆動車で普通の人たちがなかなか行かない秘境で合計7回、距離にして約二万キロもの旅を完成させた 藍さんの精神・意志・生き様はみんなにパワーを与えるに違いない!!!

 「老いて盛んなり」とは中々常人には及び難い境地だが、私はこの作品集を前にして、一方なぜか信仰者の歩みを同時に思うた。一つは以前ご紹介した「田藤清風」氏の生き様である。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2023/08/blog-post_29.html あと一つはモーセである。

こうして、主の命令によって、主のしもべモーセは、モアブの地のその所で死んだ。主は彼をベテ・ペオルの近くのモアブの地の谷に葬られたが、今日に至るまで、その墓を知った者はいない。モーセが死んだときは120歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。(旧約聖書 申命記34章5節〜7節)

初めに、神が天と地を創造した。(旧約聖書 創世記1章1節)

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